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マイノリティにはモデルがない。

「マイノリティとマジョリティは、数の大小で区別されるものではありません。マイノリティのほうが、マジョリティより数が多いこともあるからです。マイノリティとは生成変化であり、プロセスなのですから、マイノリティにはモデルがありません」 G. ドゥルーズ『記号と事件』347-48

学習する中間層が、社会を変えていく。

「時代や地域によって社会構造は異なりますから、当然『中産階級』の定義も厳密には異なってきます。マルクス主義であれば、経済的要因を偏重する定義になってしまう点に問題があります。私の場合、教育・学習にかかわる変数を重視しています。今日の先進国のように社会が発達すると、識字率だけでは社会構造を十分に説明できません。国民の識字化が進んだあとの成熟社会では、高等教育の進学率が重要な指標となります。識字率と高等教育への進学率。こうした人間開発に関わる指標が、鍵を握っているわけです。教育・学習の普及、発展、停滞が、先進諸国における社会構造を規定しているのです」エマニュエル・トッド

中間層という歴史の主体

「中産階級がどうなるかが歴史の帰趨を決します。マルクスはこの点を見誤りました。プロレタリア階級の勢力が増大しても何も起こらず、歴史は動かなかったのです。イギリスでも、フランスでも、ロシアでも、革命は『ストーンの法則』の通り、中間層の識字率が上昇することによって起きたのです。『アラブの春』も、中国の革命も同様です」 エマニュエル・トッド

 

構造化し構造化される構造

「政治や経済などさまざまな次元で、フランス、イギリス、アメリカは、より自由主義的です。なぜそうなのかといえば、彼らの家族構造がそう促しているからです。いいかえれば『自由』を『強制』されているのです。『絶対核家族』のアングロサクソン世界の平均的個人は、あらかじめ『自由』に向かうよう方向づけられており、権威主義を許されていません。イギリスでは、ファシストになりたくても、ファシストになるのはむずかしい笑。共産主義者になることもむずかしく、もし共産主義者だったら、気が狂っていると思われてしまう。彼らは、家族構造ゆえに自由なのです。『自由である』というより、『自由でないことができない』のです」

「私のテーゼは『自由』というものをこのように位置づけるため、『絶対的自由』の観念と真正面から衝突します。『自由』という観念にこだわる社会の人びとほど、『構造決定論』を嫌い、家族構造によって『自由』が意識づけられていることを拒否するのです。自分がなぜ自由なのかを自覚できないのです」 エマニュエル・トッド

革命と識字率の関係

「歴史家のローレンス・ストーン(Lawrence Stone, 1919-1999)が、識字率と革命との関連を研究し、イギリス革命、フランス革命、ロシア革命を取りあげて、革命の前には必ず識字率が上昇していたことを示唆しました。わたしはこれを『ストーンの法則』と呼び、いまでも大いに活用しています」エマニュエル・トッド

E.Toddの認識枠組み

ここでエマニュエル・トッドの語り方を見てみよう。「イギリスにはつねに、ウィンストン・チャーチル、あるいはボリス・ジョンスンのような政治家が体制内にいます。紛れもないエスタブリッシュメントの一員ですが、エリート層の少数派として民衆側につく、そんな政治家です。ですがフランスにとって大いに問題なのは、エスタブリッシュメントのなかから、大衆の利益をあえて引き受けるエリート少数派が出てこないことです」

ここには、権力システム論の古典的な見方である、社会を統治する少数のエリートと大衆という上下2分法が、エマニュエル・トッドのなかに認められる。他方、以下では3分法を活かして、中産階級こそ歴史を動かす主体だと語っている:

「中産階級に比べれば、上層の貴族層も、下層の庶民層も現代社会への影響という点でさほど重要ではありません。『1%の支配』という超富裕層と、それ以外との格差の問題はたしかに存在します。まったく不公正な格差です。しかし、このことを指摘したからといって、『西欧先進社会は閉塞状況に陥っているのに、なぜみずから方向を変えられないのか』という問題の説明にはならないのです。この問題を解くには、中産階級の分析が不可欠です。つまり、1%の超富裕層の存在を許し、庶民層の生活水準の低下を放置しているのは、中産階級だからです」

古典的な権力システム論では、社会的成層化(social stratification)という見方をするので、上下2分法、あるいは上層・中層・下層という分類法を採るが、トッドもそうした認識枠組みでヨーロッパ社会を眺めていることが示されている(民衆や大衆といった表現は原文訳のまま)。

大陸の観念論を嫌う家風

「もともと私は哲学的思考、人間一般についての思考にあまり興味がありませんでした。これは、フランス人としてはあまりノーマルなことではありません。私は物理や数学が好きで、理系中心のクラスに属していました。それにくわえ、家族から引き継いだものがあります。フランスとドイツの哲学に対する敵愾心です笑。そういったわけで、そもそも哲学に詳しくないのですが、かなり若いころから言葉そのものに対する警戒心がありました。言葉の羅列はしばしば何の意味ももっていない、ということを意識していました。フランス人の多くはこのようには育てられていないと思います」 エマニュエル・トッド