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Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」の探究—

A Definition of Philosopher

Philosopher は、いかなる観念共同体の市民ではない。
そのことが、彼を philosopher たらしめる。

L. J. J. Wittgenstein

On Narrative (2)

Your narrative gradually fixes your thought. Is it your belief or old, stubborn idea?

On Narrative (1)

We live in narratives.

社会科学のはじまり

社会科学思想の源泉は、啓蒙思想に求められる。これは17世紀から18世紀にかけてまずイギリスで成立し、次いでフランスに広まった。このなかには、

ⅰ イギリスにおける近代市民革命の理論的裏づけを準備したT. HobbesとJ. Locke

ⅱ これを受け継いで、経験主義的・合理主義的な人間性論にもとづく道徳哲学を構築したD. Hume、B.de Mandeville、F. Hutcheson、A. Smith、A. Fergusonなど、

ⅲ また、これらイギリス啓蒙思想の流れをフランスに導入して、フランス革命に法・政治思想的な面からの裏づけを準備したC. de S. Montesquieu

ⅳ 人間の理性が、非合理的な要素をひとつずつ取り除いて、合理主義に向けての人間精神の「進歩」を実現していくと考えたM. de Condorset(理性主義的進歩史観)

ⅴ イギリスのA. Smithに先行して、経済における自然的秩序の形成を理論化した F. Quesney および A.R.J. Turgot、

ⅵ Condorsetの理性主義的進歩史観を実証的科学主義へと方向づけたSaint-Simon および A. Comte などが含まれる。

ここにあげた名前のうち、最も古いのはHobbesである。その主著『リヴァイアサン』(1651)を最初の社会科学書と考えれば、近代社会科学の起源は、17世紀中盤あたりにまでさかのぼりうる。しかし、Hobbesの国家契約思想そのものはまだ絶対王政の産物であった。そこで、これをひとまず除外して考えるとすると、近代市民社会の理論として最もはやいのがLockeの『統治二論』(1690)、そして Hume 以下イギリスとフランスの啓蒙主義思想家がいっせいに活動したのは18世紀、Saint-SimonとComteの実証主義の登場は19世紀になってからのことである。つまり、18世紀を中心として、17世紀後半と19世紀初頭をふくむ時期が、社会科学の確立期とみなされる。

reference to this page: 富永健一『現代の社会科学者』講談社学術文庫, p. 28-29をもとに編集・作成。

言葉の採集

わたしは絶えず、言葉を追い求めている。

そのプロセスはこうだ。毎日わたしは籠をもって森へ行く。木の上、茂みの中、地面、実際には道路上、会話の最中、読書中など・・、まわりのいたるところで言葉がみつかる。それをできるだけたくさん拾い集める。だがそれでも足りない。

わたしは集める。なんだかわからない言葉も、簡単にわかるけれどもっと知りたい言葉も拾い集める。英語に同義語のない美しい単語も集める。いろいろな状況を描写するため、大量の形容詞も集める。まず役にはたたない無数の名詞と副詞も集める。

1日が終わる。籠は重く、あふれるばかりになっている。わたしは満ち足りて豊かになり、生き生きとしていると感じる。けれども、森をでてみると、ほんの一握りの単語しか残っていない。大部分は消えてしまう。空気中に蒸発し、水のように指のあいだからこぼれ落ちてしまう・・・。

がっかりする。だが意欲を失うことはない。それどころか決意が高まるのを感じる。翌日わたしはまた森へ行く。

だが十分ではない。たくさんの単語を手帖に寄せ集めるだけでは。満足もできない。わたしはそれを使いたい。集めた単語とつながりをもちたい。単語がわたしの一部になってほしいと思う。

reference to this page: ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』中嶋浩郎 訳 p.34-36より編集・作成。note: Jhumpa Lahiri(1967− )デビュー作は,  Interpreter of Maladies (1999). In Altre Parole (2015) published in English as In Other Words (2016)./Lahiri said : When I first started writing I was not conscious that my subject was the American-Indian experience. ( Newsweek, 3/5/2006 )

復活する大国主義の物語

恐怖支配を敷いた独裁者スターリンが、再び英雄に祭り上げられている。ドナルド・トランプ大統領の誕生が多くのアメリカ人にとって青天のへきれきだったように、ソ連時代を知る人にとって、スターリンの復権はまさかの展開だと言われる。

とはいえロシアには強権的な指導者を求める国民感情が根強く存在する。ノースウエスタン大学教授のゲーリー・モリスンによれば、ロシア人にとって90年代の民主化の試みは、大国の栄光の歴史から逸脱した混乱でしかなかったという。

ソ連時代を懐かしむ風潮が高まるなか、プーチンの登場は「母なるロシア」への回帰願望をうまくつかみ、多くの国民に熱狂的に歓迎された。民主主義よりも大国主義への回帰というわけである。

スターリンの復権は、プーチン大統領が長年温めてきた構想だといわれている。スターリン時代を知る高齢者が次々に亡くなっていることにくわえ、独立系メディアがロシアにはほとんど存在しないことも手伝い、ロシア政府は歴史を自在に歪曲できる。このことも、高まるスターリン人気の背景として指摘されている。

いまや独裁者スターリンは「歴史上もっとも重要な人物」に選ばれるまでになっている(✽)。ロシアが欧米に対して敵対的な姿勢を強め、核戦争の脅威が現実味を帯びつつあるなか、こうした大国主義の物語と「強いリーダー待望論」が高まっている。

環連リンク:強いリーダー待望論の意味

reference to this page: Newsweek(2017.8.1)p.19より編集・作成 note: ✽ロシアの独立系調査機関レバダセンターの最近の世論調査。

「見守る」という叡知(2)

見守るということをもう少し詳しくいいかえてみると、その人にできるだけの自由を許し、つねに期待を失わずに傍にい続けることだと言えるだろう。例をあげて考えてみよう。

例えば、失恋で苦しんでいる青年が、もう死んだ方がましだという。死ぬ場所を探すために旅に出たいなどと言い出したとき、われわれは彼に「自由を許して」いいのだろうか。もし彼が本当に自殺したりすると、取り返しのつかないことになる。あるいは、ある青年は職業に就くが些細なことから上司とけんかをして辞職してくる。こんなことを数回も繰り返して、もう一度就職したいというときに、われわれは「期待を失わず」にいることができるだろうか?

一般にいって、援助を必要とする人は、期待がもちにくかったり、自由を許したくないと感じられるような人である。それに対して、期待を失わず、自由を許すことにこそ意味があるのである。

reference to this page: 河合隼雄,『大人になることのむずかしさ』岩波書店, p.122-23. note:「エンパワリング」とはひとつには人間開発のことである。これはより包括的な、いわば大分類の定義である。人間開発に対する中分類の定義をひとつだけあげると、人が大人になるのを見守ることである。さらに小分類でみると、その人にできるだけの自由を許し、つねに期待を失わずに傍にい続けることである。中分類の定義では施策・政策が見え、小分類の定義になると方法・技法が見えてくる。

「見守る」という叡知(1)

筆者は、多くのつまずきを経験した人が立ち直っていくのを援助することをしてきた。筆者の仕事の中核は、実のところ「見守る」ことにあると思っている。多くの人が、つまずきから立ち直る「よい方法」を筆者が教えてくれると思ったり、何か助言を与えてくれるものと期待して、筆者のもとにやって来られる。

しかし、ある個人が本当に成長することは、「その人なりの」道を自ら見つけ出し、つくりあげてゆくことであり、他人がかるがるしく教えたりできるものではないのだ。したがって、その間、その人が苦しい道を進んでゆくのを見守ること以上に、することはないのである。といっても、このことがどれほど難しく、苦しいことだと解っていただけるだろうか。

note: 河合隼雄,『大人になることのむずかしさ』岩波書店, p.122.

べつの見方を創りだす営み

ウィトゲンシュタインは、かつて知的思考 philosophical thinking について、こう述べたことがあった。「ふつうフィロソフィーというのは、ある概念を、ある決まった見方でみるように強いられていると感じるものだ。わたしのしていることは、べつの見方があることを示すことであり、さらには、べつの見方を創り出すことだ。それによって、今まで考えてもみなかった見方がありうることを示したいのです。みなさんが、1つの、あるいはせいぜい2つの見方しかないと思っていたのに、ほかの見方もあると考えるよう促したいのです。みなさんを身動きできないようにしている考え方から離れて、自由に言葉を使えるように」

reference to this page: ノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン』1998, p.62より編集・作成.

美女と野獣

「美女と野獣」の発想を最初に考えたのは誰か。それはきっと女性ではないか。かつて荒俣宏が、吉本隆明との対談のなかで語っていたことである。彼が言うには、あの物語には、どうも母親の心境が感じられる。父親と母親の心境の決定的な差異は何かというと、父親はいやなものは排除できるが、母親は排除できない(しない)。自分で産んだものは面倒をみようとする。母性本能と通常呼ばれているものは結局それで、とにかく背負わされたものに対して面倒をみるという態度をとるというのである。

ここで示してみせた荒俣の推察は当たっている。「美女と野獣」の源流には、17世紀末から18世紀にかけて現れた2人の女流作家の存在がある。マダム・ヴィルヌーヴとマダム・ボーモンである。

だから男性にはなかなか「美女と野獣」のようなものが書けない。ラヴ・ロマンスが悲劇となって終わってしまう。歌舞伎を見てもそうだが、女性の作家はいない。歌舞伎の美は「心中か殺し」で終わるケースがとても多い。ここには、どうしようもないものを背負ったときの男の解決の仕方が、よく現れている。

note: 美女と野獣( La Belle et la Bête,  Beauty and the Beast )/ヴィルヌーヴ夫人(1685-1755):Madame de Villeneuve, Gabrielle-Suzanne Barbot de Villeneuve(Villeneuve version, 1740年)/ボーモン夫人(1711-1780):Madame de Beaumont, Jeanne-Marie Leprince de Beaumont( Beaumont version, 1756年 )/ジャン・コクトー(1889-1963):Jean Cocteau(film adaption, 1946年)

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