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水は、科学の文脈では H₂O と記述され、宗教の文脈では聖水として扱われることがある。同一の対象であっても、置かれる文脈によって、意味づけや解釈のされ方が変わる。関係主義の観点では、対象は一つの文脈に還元されず、複数の文脈において異なる相を示す。学的事実、歴史的事実、法的事実、社会的事実、心理的事実、哲学的事実といった事実の区分も、こうした文脈の差異を示すものとして現れる。
水は、科学の文脈では H₂O と記述され、宗教の文脈では聖水として扱われることがある。同一の対象であっても、置かれる文脈によって、意味づけや解釈のされ方が変わる。関係主義の観点では、対象は一つの文脈に還元されず、複数の文脈において異なる相を示す。学的事実、歴史的事実、法的事実、社会的事実、心理的事実、哲学的事実といった事実の区分も、こうした文脈の差異を示すものとして現れる。
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『オデュッセイア』(全24歌) では、冒頭、神々の会議が開かれ、女神アテナAthēnāの発議でオデュッセウスを帰国させることが決定される。第5歌から話はオデュッセウスに移り、オデュッセウスは筏(いかだ)に乗って帰国しようとするが、ポセイドンの起こした嵐で難破する。第6~12歌は、オデュッセウスが物語る数々の冒険譚が、その大部分を占める。物語のほとんどすべては、隻眼(せきがん)の巨人キクロペスや、歌う魔女セイレンなどの怪異談である。第13歌でイタケに帰還したオデュッセウスは、テレマコスと忠義な豚飼いエウマイオスの協力を得て、自分がいないあいだに家族を苦しめた悪人(求婚者)たちを討ち、妻ペネロペイア、老父ラエルテスと再会。求婚者たちの遺族との対決も、アテネの介入によって回避されて、終わる――
「人類史上最高の物語り」とも呼ばれてきた この歌物語は、アテナという知恵ある媒介者(intermediator)によって、遺族にまでおよぶ報復 すなわち復讐の連鎖を断ち切り、幕を下ろす。
ホメロスの叙事詩は、誰に対して創られたのか。
それはイオニアの市民たちに向けてである。柄谷の解釈によれば、
1.ホメロスの叙事詩は英雄たちの戦争を描いた武勲詩であるにもかかわらず、実際はそれに対する否定に満ち満ちている。
2.ホメロス叙事詩は、戦士あるいは貴族階級の「英雄礼賛」のイデオロギーとは無縁だった。
3.だから、ホメロス叙事詩は際限のない抗争に対する批判の書ということになる。
たとえば、として次のような例を挙げている。
『イーリアス』の最後で、アキレウスはヘクトールを殺したあと、それ以上の報復を断念する。また『オデュッセイア』では、もはや英雄は描かれない。
オデュッセウスは一介の外国人として放浪し、乞食として帰還する(流浪の父の帰還)。そして彼は、自分がいないあいだに家族を苦しめた敵に報復をする。
だが、報復を敵の親族にまで広げることは断念する。いずれの作品も復讐の連鎖を断ち切ることで終わっている、としている。
では復讐の連鎖は 何によって断ち切られたのか。 [ 次へ ]
「人間とは何か」という問いに対する、うんと古い回答にオイディプスがいます。古代ギリシア神話の登場人物です。オイディプスは跛行者です。そもそもオイディプスという名前自体が “腫(は)れた足” を意味しています。だから、足を引きずったり、左右に揺られたりしながら歩いています。
ここから、人間とはまっすぐに歩けない動物である、というイメージが現れることになります。まっすぐに歩けない人間が先々の方向感覚を得るために、時代時代で民族や部族の知恵、経験、思想、物語といった座標軸が形成され、継承され、革新されていきました。
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