Hemingway & Max
by shidarapress
ヘミングウェイはオーストリアへ戻り、そこで3月末までに『春の本流』の校正刷りに手を入れ、『日はまた昇る』の推敲を終えた。そしてまたパリに戻ると、初夏になったら「闘牛でも楽しもう」と、あれこれ計画を立てた。「飛行や闘牛も結構ですが、生命を大事にしてください」と、マックスは自分のいちばん新しい作家に注意をうながした。ヘミングウェイは、『日はまた昇る』を遺作にするつもりはないと答えた。205
ヘミングウェイはオーストリアへ戻り、そこで3月末までに『春の本流』の校正刷りに手を入れ、『日はまた昇る』の推敲を終えた。そしてまたパリに戻ると、初夏になったら「闘牛でも楽しもう」と、あれこれ計画を立てた。「飛行や闘牛も結構ですが、生命を大事にしてください」と、マックスは自分のいちばん新しい作家に注意をうながした。ヘミングウェイは、『日はまた昇る』を遺作にするつもりはないと答えた。205
とりわけ重要なのは媒介者です。創造とは媒介者のことなのです。媒介者がいなければ作品はありません。人間が媒介者になることもあるし、物が媒介者になることもあります。植物が媒介者になることもあるし、動物だって立派な媒介者になりうるのです。架空のものでも現実のものでも、あるいは生物でも無生物でもいいから、とにかく独自の媒介者を創らなければなりません。G. ドゥルーズ PP251.
よそからやってきた創造の運動に追随することを使命とするような分野は、創造の役割をみずから放棄したことになります。隣人の運動に便乗することが重要だったためしはないのですから。独自の運動を起こすことが重要です。G. ドゥルーズ PP251
「1なるもの」は、否定の原理です。あらゆる特異性、あらゆる複数性、あらゆる多様性の否定です。「1なるもの」が諸概念を支配しているかぎり、その支配の形態がどんなものであれ、「1なるもの」は差異を奪い去り、特異性を抹殺するのです。多様性の反対は、「1なるもの」です。それは疎外の原理であり、排除の原理です。マルチチュードが到達しうるのは、一方では「無数の内的差異」を認識することであり、他方ではそのなかに「共同的なもの」を認識することです。A.ネグリ207-8.
「マイノリティとマジョリティは、数の大小で区別されるものではありません。マイノリティのほうが、マジョリティより数が多いこともあるからです。マイノリティとは生成変化であり、プロセスなのですから、マイノリティにはモデルがありません」 G. ドゥルーズ『記号と事件』347-48
「中産階級がどうなるかが歴史の帰趨を決します。マルクスはこの点を見誤りました。プロレタリア階級の勢力が増大しても何も起こらず、歴史は動かなかったのです。イギリスでも、フランスでも、ロシアでも、革命は『ストーンの法則』の通り、中間層の識字率が上昇することによって起きたのです。『アラブの春』も、中国の革命も同様です」 エマニュエル・トッド
「政治や経済などさまざまな次元で、フランス、イギリス、アメリカは、より自由主義的です。なぜそうなのかといえば、彼らの家族構造がそう促しているからです。いいかえれば『自由』を『強制』されているのです。『絶対核家族』のアングロサクソン世界の平均的個人は、あらかじめ『自由』に向かうよう方向づけられており、権威主義を許されていません。イギリスでは、ファシストになりたくても、ファシストになるのはむずかしい笑。共産主義者になることもむずかしく、もし共産主義者だったら、気が狂っていると思われてしまう。彼らは、家族構造ゆえに自由なのです。『自由である』というより、『自由でないことができない』のです」
「私のテーゼは『自由』というものをこのように位置づけるため、『絶対的自由』の観念と真正面から衝突します。『自由』という観念にこだわる社会の人びとほど、『構造決定論』を嫌い、家族構造によって『自由』が意識づけられていることを拒否するのです。自分がなぜ自由なのかを自覚できないのです」 エマニュエル・トッド
「歴史家のローレンス・ストーン(Lawrence Stone, 1919-1999)が、識字率と革命との関連を研究し、イギリス革命、フランス革命、ロシア革命を取りあげて、革命の前には必ず識字率が上昇していたことを示唆しました。わたしはこれを『ストーンの法則』と呼び、いまでも大いに活用しています」エマニュエル・トッド
ここでエマニュエル・トッドの語り方を見てみよう。「イギリスにはつねに、ウィンストン・チャーチル、あるいはボリス・ジョンスンのような政治家が体制内にいます。紛れもないエスタブリッシュメントの一員ですが、エリート層の少数派として民衆側につく、そんな政治家です。ですがフランスにとって大いに問題なのは、エスタブリッシュメントのなかから、大衆の利益をあえて引き受けるエリート少数派が出てこないことです」
ここには、権力システム論の古典的な見方である、社会を統治する少数のエリートと大衆という上下2分法が、エマニュエル・トッドのなかに認められる。他方、以下では3分法を活かして、中産階級こそ歴史を動かす主体だと語っている:
「中産階級に比べれば、上層の貴族層も、下層の庶民層も現代社会への影響という点でさほど重要ではありません。『1%の支配』という超富裕層と、それ以外との格差の問題はたしかに存在します。まったく不公正な格差です。しかし、このことを指摘したからといって、『西欧先進社会は閉塞状況に陥っているのに、なぜみずから方向を変えられないのか』という問題の説明にはならないのです。この問題を解くには、中産階級の分析が不可欠です。つまり、1%の超富裕層の存在を許し、庶民層の生活水準の低下を放置しているのは、中産階級だからです」
古典的な権力システム論では、社会的成層化(social stratification)という見方をするので、上下2分法、あるいは上層・中層・下層という分類法を採るが、トッドもそうした認識枠組みでヨーロッパ社会を眺めていることが示されている(民衆や大衆といった表現は原文訳のまま)。