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Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」へ—

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大陸の観念論を嫌う家風

by shidarapress

「もともと私は哲学的思考、人間一般についての思考にあまり興味がありませんでした。これは、フランス人としてはあまりノーマルなことではありません。私は物理や数学が好きで、理系中心のクラスに属していました。それにくわえ、家族から引き継いだものがあります。フランスとドイツの哲学に対する敵愾心です笑。そういったわけで、そもそも哲学に詳しくないのですが、かなり若いころから言葉そのものに対する警戒心がありました。言葉の羅列はしばしば何の意味ももっていない、ということを意識していました。フランス人の多くはこのようには育てられていないと思います」 エマニュエル・トッド

離脱(BREXIT)02

by shidarapress

エマニュエル・トッド( E. Todd, 1951- )が、ここ330年ぐらいのスコープで、BREXITについて次のような解釈をしている。「イングランドからはじまった産業革命は、ヨーロッパ全体を経済的に一変させました。そして、1688年に名誉革命によって、議会主義の君主制が確立されました。欧州各国で採用されている、近代的な民主主義の出発点はイギリスにあったのです。

1789年のフランス革命家の夢と目的は、政治的近代化のモデルであるイギリスになんとしても追いつくことでした。そしていま、そのイギリスが、自らが先鞭をつけたグローバリゼーションの流れから抜け出そうとしている(EU離脱の意味あい)。イギリスの国民国家への回帰は、歴史的にも最重要のフェイズだと思います」

note: 名誉革命(Glorious Revolution, 1688-89)この革命は政治史上、イギリスの《議会政治の確立》という点で大きな意義をもつ。これにより国王の絶対的な専制(※)を打破し、《議会》というコンセプトが政治システムの中核に据えられることになる。王権との調和の上に、君主制(立憲君主制)の基盤が形成された点で特筆される。こうした政治システムのイノベーションに到るまでには、次のような経緯がある。/まず、※ 国王の絶対主義的専制について。こうした時代には、それを支える、つまり国王の政治支配を正当化する物語(ナラティブ)が登場する。それが「王権神授説(divine right of kings)」で、これによれば、王権は神に由来するもので神聖にして絶対である。王は神にのみ責任をもち、人民は王の命令に反抗することは許されない/こうしたなか、フランシス・ベーコンの経験論を継承したトマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588-1679 )が登場すると、個人と国家の関係は《契約》によって成立すると主張。王権の正当性を、神ではなく、契約に置くという、別の物語(ナラティブ)をぶつけた。主著『リヴァイアサン』1651 の登場である。ただし、ホッブスは王政を否定することまではしなかった。とはいえ、新たな物語(=新たな正当性の基盤)を唱道したホッブスは、社会契約論の先駆的理論を提示したことになる。国王サイドは、王権神授説という既成のナラティブで対抗するも、1686年の名誉革命(上記)によって立憲君主制が成立すると、国王であっても「法と議会」のもとにしたがう、との原則が打ち立てられることになる。すると今度は、王権神授説という宗教的権威を否定し、新たに立憲君主制を正当化するナラティブを語る語り部が登場する。それがジョン・ロック(John Locke, 1632-1704)である(『市民政府二論』1690)。こうしてイギリスは、王権神授説という旧来のナラティブから脱却し、イギリスの議会制度が新たに成立していく(物語の革新→新制度の設計)。ロックの語ったナラティブ(政治思想)では、各人は立法者に対しても対抗権=革命権を持つと語られていたから、それは名誉革命を弁護するものであった。こうしたロックのナラティブは、18世紀のフランス啓蒙思想、アメリカの独立運動(とくに独立宣言, United States Declaration of Independence, 1776)にも大きく取り入れられていくことになる。ナラティブは越境し、新たな歴史を展開する原動力になっていく。

Back from the Future

by shidarapress

小説家の平野啓一郎は、「過去を起点にして現代を説明すればするほど、ますます身動きが取れなくなってしまう」と記した。以下、その部分を抜粋しておこう。彼は、小説『ドーン』を書くにあたって、「想像された未来」を据えるという方法を採る。

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・・・北九州の田舎で育って、地元での生活に退屈していた私は、十代のころから外国文学が好きで、フランスに憧れるようになった。

小説の世界は、物理的にも時間的にも、遠ければ遠いほど、日常に戻ってきたときの感動が深くて、ものの考え方、感じ方に距離があればあるほど、新奇なものに触れて、自分が更新されたような興奮があった。

どんなに面白くても、読む前と読むあとで、自分がちっとも変わったという実感が得られない小説が私は嫌いで、自分の見ている日常の世界が、微塵も動揺しないような小説が嫌いだった。

『決壊』の執筆を通じてよく感じたのは、過去と現在との因果関係の規定が、いかに未来を困難にしているか、ということだった。過去を起点にして現代を説明すればするほど、ますます身動きが取れなくなってしまう。そこで、想像された未来に仮の出口を設けて、どうすればそこにたどり着けるか、あるいは、どうすればそこじゃない、別の出口へと進むことができるかを考えてみることは有意義だと思った。

いったん、未来へと赴いて、また現代に戻ってくる。それが『ドーン』の発想で、私はそのため「火星に行って戻ってきた人間」というのを、この物語の大きな枠組みとして採用した。

 

受賞の言葉「遠いところに、行って帰ってくる」

(「第19回 Bunkamura ドゥマゴ文学賞」より)

マルチチュード(4)

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ともに行動する無数の特異性。これこそが、わたしたちの出発点であるマルチチュードの定義にほかならない。そしてこの定義のカギとなるのは、特異性と共通性のあいだには、概念的にも実際的にも矛盾はないという事実である。180-81

マルチチュード(3)

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マルチチュードとは、それ以上縮減できない多数多様性であり、マルチチュードを構成する特異な社会的差異はつねに表現されなければならず、けっして統一性や同一性、無差異性に平板化することはできない。しかもマルチチュードは、断片的でバラバラに散らばった多数多様性ではないのである。180

アスピレイション

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およそ人のアスピレイションというものは、自身のそのときそのときの心のありようによって大きくもなり、また小さくもなるものです。先天的な遺伝、そして現在の学び方によって、根気よく研鑽に励み、ふらふらと迷わなかった者が所期の成果を収めることでしょう。273

マルチチュード(2)

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「マルチチュード」 ( ⅰ )それは特異性の集合です。それは「一なるもの」に還元されない多様性のことです。単一の同一性からなるものには置き換えられない、無数の内的差異、すなわち「多」から構成されています。ですから「一丸となる」組織はマルチチュードとはいえません。( ⅱ )それは同一性からなる「人民(people)」とも、均一性からなる「大衆(mass)」とも、「労働者(laborers)」とも違います。(ⅲ)それは創造的な革新力の総体を言います。労働者の階級闘争はもはや存在しません。マルチチュードが社会変革の主体として登場してきたのです。(ⅳ)それは世界を創りかえようとする多数多様体のことです。世界の見方を変え、新たな価値観を生みだす集合的創造性です。( ⅴ ) それは非物質的労働の担い手です。これは2つの形態に大別できます。ひとつは「知的または言語的な作業」で、アイディア、シンボル、コード、テクスト、イメージなどを生みだします。もうひとつは「情動的作業」と呼ばれ、安心感、幸福感、満足、癒やし、興奮、情熱といった感情・情動を生みだす作業に関わります。( ⅵ )マルチチュードは、かつてのブルジョアジーや、その他の排他的・限定的な階級形成とは対照的に、自律・分散・協調的に、新たな社会を形成する能力をもっています。( ⅶ )無数の内的差異からなるマルチチュードは、相互のコミュニケーションや共同創造(Co-creation)を可能にする《共》(the common:共通の意識・認識空間のようなもの)を創りださなければなりません(だから「インターミディエイター」がいる)。

マルチチュード(1)

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グローバル化の進展にともない登場しつつあるのが、国境を超えたネットワーク状の権力で、これを《帝国》と呼ぼう。一方では、このような新しいタイプの権力(《帝国》)が形成され、他方では、この星のいたるところで生じる21世紀の難問題にたいして対抗運動ないし革新運動が起こっている。それは、それぞれの特異性を保ちながらも、共通のネットワークを創り上げている。《帝国》に対抗する、ネットワーク的に未来を創造するアクターたち、つまり集合的創造性を発揮する多種多様な運動体に着目してみよう。これらの先に、全地球的なデモクラシーを推進する主体、すなわち「マルチチュード」が登場するだろう。

先駆者だけが見える風景

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西欧の進んだ本を読むことは、日本国中の人にできないことだ。だが自分たちの仲間は、それができる。経済的な見返りが乏しくても、スラスラと進まないことがあっても、粗衣粗食で、一見みる影もないような慎ましい身分でありながら、知力や思想の面で活発高尚なことは、王侯貴族であれ眼下に見下すぐらいの気位で、ただただむずかしければ面白いし、しんどさのなかにこそ楽しみがあり、苦とはすなわち楽なんだ、という心境にさえ達していたと思う。92

潰れてかまわない

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ぜひとも慶應義塾を永久に残しておかなければならない、という義務もなければ名誉心もない。はじめから、揺るぎなくそう思っている。だから世の中に怖いものがない 234。 福沢は別のところで、こうも語っている「塾(慶應義塾のこと)の盛衰に気を揉むようなバカなことはしないと、腹の底に極端の覚悟を決め、塾を開いた。そのときから、いつでもこの塾を潰してしまおうと始終考えているから、少しも怖いことはない」と 307 自分が開いた塾の盛衰に一喜一憂することなど愚かなことであるし、未来社会の役にたたず、周囲からの支持がなくなれば、自ずからなくなって当然ではないかと考えていたわけだ。