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Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」へ—

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役割の発生と交替

by shidarapress

緒方塾の塾生は、原書の写本に慣れているから、ひとりが原書を読むと、ひとりはこれを聞いて写すことができました。そこでひとりは読む、ひとりは写すことにして、写す者が少し疲れて筆が鈍ってくるとすぐ他の者が交替して、その疲れた者は朝でも昼でもすぐに寝る。こういう仕組みにして、昼夜を問わず、食事をするあいだもタバコを吸うあいだも休まず、寸暇も惜しんで、だいたい2日3日のうちに、エレキテルのところはいうまでもなく、図も写し、読み合わせもできてしまって、写した枚数はだいたい150〜160ページはあったと思います。90-91

思考のイノベーション

by shidarapress

私の夢はじつに変化の多い、賑やかな夢でした。ヒョイッと外に飛び出して故郷を見捨てるのみか、幼いころから教育された漢学流の教えさえも打ち破って、西洋学に入門し、変わった本を読み、変わった人と交わり、自由自在に運動して、2度も3度も海外に渡航するうち、考え方はだんだんと広がっていって、藩というものはもちろん、日本が狭く見えるようになってきたのは、なんとも賑やかなことで、大きな変化ではないでしょうか。私は洋学を修めて、その後どうやら人に不義理にせず、衣食さえあれば大願成就と思ってたところに、明治維新。いよいよこの国を開いて、本当の開国となったのは有り難いと思いました。315

Overnight Reading

by shidarapress

それから緒方の塾に入ってからどうしていたか。夕方食事のころにもし酒があれば、それを飲んで寝る。ひと眠りして目が覚めるのが、いまでいえば夜の10時か10時過ぎ。それからヒョイと起きて本を読む。夜明けまで本を読んでいて、台所のほうで塾の料理担当がコトコトご飯を焚いて支度をする音が聞こえると、それを合図にまた寝る。寝てちょうど朝ご飯の出来上がったころに起きて、そのまま銭湯に行って朝風呂につかり、それから塾に帰って朝食を食べてまた本を読むというのが、だいたい緒方の塾にいるときにやっていたことでした。81

辞書との対話

by shidarapress

アメリカから帰ってきて、塾生も次第に増え、相変わらず教える日々でしたが、私はアメリカへの渡航を幸いに英語ばかりを研究して、帰ってからもできるだけ英書を読むようにして、生徒たちにもオランダ語で書かれた本ではなく、ことごとく英語の文献を読んで教える。ところが、まだなかなか英語がむずかしく、自由自在に読めない。読めないから、頼れるのはもっぱら英蘭辞書のみです。教えるとはいいながら、じつのところは教えながら学ぶという具合で、とにかくせっせと勉強しました。122

「新しい学」が解らない人びと

by shidarapress

中年以上のニブイ人たちは、とてもとても「新しい学」の世界に入ることはできず、なにかことを思案しようとすると、もれなく古い学問を頼りにして、すべてそこから割り出すという風潮のなかにいるわけですが、こちらはその霊妙で不思議と皆がありがたがる古い学問をアタマから見下していたものですから、自分の身のためには随分と危ないことだと言えますね。208

まとめてオレが相手をしよう

by shidarapress

どういう方法であれ、彼らを救い出して、自ら信じるところに導こうと、あらん限りの力を尽くす、で、きわめて真面目に申し上げますが、日本国中の漢学者はみんな来い、オレがひとりで相手になってやろう、というような決心でした。208

いやしい分類

by shidarapress

じつを言えば、私は政府に対して不平はない。過去に囚われたようなことを一切いわず、ただ未来にむけて変化して、開かれた国を経営してくれればいいのだが、なんだか急に「官民」とか「朝野」とか、いやしい分類を造って、私塾を阻害し邪魔扱いする、そんなケチなことをされたのには少々困ってしまいました。236

また古典的パラダイムか

by shidarapress

私はただ漢学が不信仰で、漢学に重きを置かないだけではありません。さらに一歩進めて、腐儒の腐説を一掃してやろうと、若いときから心がけました。207

最新最良の知性

by shidarapress

学問勉強ということでは、当時世の中で緒方塾生の右に出るものはいなかったと思う。80

mindset 05

by shidarapress

人びとがコンナ根性では、気の毒ながら、自律・独立はむずかしいと断言したこともあります。私のみるところ、新政府の役人たちは儒教に傾倒し、古い学問を引っ張ってきて空威張りするばかりだ。日本びいきの外国人でさえ日本に対する評判は芳しくない。どうも落胆したが、とはいえ自分は日本人だ。無為に過ごしてもいられない。政治のことはともかくも、自分は自分で、いささか学んだ「新しい学」(当時の洋学)を後進たちに手ほどきし、また根気のある限り著書・翻訳にはげむことで、万が一にも、人びととともに新しい社会・文明をつくりだせるのではないか、と思い、私はひとり身構えた。200