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Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」へ—

タグ: 福沢諭吉

また古典的パラダイムか

by shidarapress

私はただ漢学が不信仰で、漢学に重きを置かないだけではありません。さらに一歩進めて、腐儒の腐説を一掃してやろうと、若いときから心がけました。207

最新最良の知性

by shidarapress

学問勉強ということでは、当時世の中で緒方塾生の右に出るものはいなかったと思う。80

越境し、物語る役割

by shidarapress

緒方塾の塾生たちは、学問のことについては少しも怠ったことはない。その様子を言えば、江戸にいた学生が折々に大阪に来て学ぶということはあったが、大阪からわざわざ江戸に学びに行くということはない。行けば、それはすなわち教えるということであった。

知の岬へ

by shidarapress

横浜はまさしく開けたばかりのところ。そこで私は横浜に見物に行った。行ってみたところ、ちっとも言葉が通じない。こっちの言うこともわからなければ、向こうの言うこともわからない。店の看板も読めなければ、ビンの貼り紙も分からない。なにを見ても私の知っている文字というものがない。英語だかフランス語だか、いっこうに分からないのだ。99

My First Publishing

by shidarapress

1860年、『華英通語』という一冊を翻訳して出版したことがある。これがそもそも、私の出版のはじまりだ。まずこの3年間というものは、人に教えるというよりも自分で英語の研鑽を図ることに集中した。124

mindset 04

by shidarapress

国中をあげて、古いものにしがみつく奴隷根性では、とても国がもちません。できることか、できないことか、ソンナことは躊躇せず、自分がその手本になってみようと思いつき、人間万事無頓着と覚悟を決め、ただ独立独歩と心を定めた。297

心底からの落胆

by shidarapress

これまでの数年間、死にものぐるいになってオランダ語の本を読むために勉強してきた。ところがその勉強したことが、いまは何にもならない。店の看板をみても読むことができない。はあー、じつにつまらないことをした、と心底落胆してしまった。99

原田敬策とのCo-learning

by shidarapress

学友の神田孝平に会って、どうしても英語をやろうじゃないかと持ちかけたが、「キミたちは元気がいいからやってくれ。今のところ自分でやろうと思わない」という。それから村田蔵六(のちに大村益次郎)のところに行ってみたが、「必要なものはみなオランダ人が英訳するから、それを読めれば十分じゃないか。だから英語はやらない」という。なるほど、ソレモ一理あるけれど、オランダ人がなんでも翻訳するわけではない。「ぼくは一切英語は読まない。必要があればオランダ人が翻訳したものを読むから、それでかまわない」と村田は威張っている。もうしょうがないので、今度は小石川にいる原田敬策にもちかけると、原田はたいへん熱心に言う。「なんでもやろう。誰がどう言ってもかまわんよ。どんなことがあっても、やりとげよう」というので、原田とは互いに意見が合ったのだった。103

Re-learning Experience

by shidarapress

私は奥平藩にお願いして、字書を買い取ってもらった。さあ、これでよい。この字書さえあれば、もう先生は要らないと、自力で研究する意志を固め、その字書と首っ引きになって、毎日毎晩ひとりで勉強した。しかし、そうはいうものの、これはどうしても仲間がいる。私がいま英語が読めなくて不便に思っているように、ほかの蘭学者も大変不便に感じているにちがいない。だって、いままで学んできたことでは役立たないんだから。とはいえ、私をはじめとしてみんな、ここ数年にわたり徹底して学んできたことが役にたたないから、これをすっぱり捨ててしまって英語をやろうとすれば、また新たに、あの苦しみをもう一度味わわなければならない。じつに情けない、つらい話である。102

護持院ヶ原(東京大学発祥の地)

by shidarapress

今度は日暮れから出かけていく。あの往来は、ちょうどいまの神田橋一橋外にある高等商業学校のあるあたりで、もと護持院ヶ原といって、大きな松の木などが生い茂っている淋しいところで、追いはぎでも出そうなところだ。そこを小石川からの帰り道、夜の11時か12時ごろ通るときの怖さというのは、いまでもよく覚えている。100