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Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」へ—

カテゴリー: 未分類

心底からの落胆

by shidarapress

これまでの数年間、死にものぐるいになってオランダ語の本を読むために勉強してきた。ところがその勉強したことが、いまは何にもならない。店の看板をみても読むことができない。はあー、じつにつまらないことをした、と心底落胆してしまった。99

Live well, Drink well.

by shidarapress

私は日に3度の食事以外に、メッタにものを食べない。子どもの頃からのクセで、間食したいと思わない。それからお酒についてですが、世間には大酒を飲んでも、かならずしもウマいとは思わず、飲んでも飲まなくてもいい、という人がいるが、私はそうではありません。うまい酒をたくさん飲みたい。いい銘柄が好ましいし、私にはお酒の良し悪しというものが、じつによくわかるのです。309

原田敬策とのCo-learning

by shidarapress

学友の神田孝平に会って、どうしても英語をやろうじゃないかと持ちかけたが、「キミたちは元気がいいからやってくれ。今のところ自分でやろうと思わない」という。それから村田蔵六(のちに大村益次郎)のところに行ってみたが、「必要なものはみなオランダ人が英訳するから、それを読めれば十分じゃないか。だから英語はやらない」という。なるほど、ソレモ一理あるけれど、オランダ人がなんでも翻訳するわけではない。「ぼくは一切英語は読まない。必要があればオランダ人が翻訳したものを読むから、それでかまわない」と村田は威張っている。もうしょうがないので、今度は小石川にいる原田敬策にもちかけると、原田はたいへん熱心に言う。「なんでもやろう。誰がどう言ってもかまわんよ。どんなことがあっても、やりとげよう」というので、原田とは互いに意見が合ったのだった。103

mindset 03

by shidarapress

私の流儀は、仕事をするにも、友人たちと付き合うにも、最初から捨て身になってとりかかり、たとえつまずき失敗してもいちいち苦しいとは思わず、世の中で起きることを軽やかに眺めるとともに、一身の独立を重視して、たえず学び、停滞しないよう心を養うことにある。308

Re-learning Experience

by shidarapress

私は奥平藩にお願いして、字書を買い取ってもらった。さあ、これでよい。この字書さえあれば、もう先生は要らないと、自力で研究する意志を固め、その字書と首っ引きになって、毎日毎晩ひとりで勉強した。しかし、そうはいうものの、これはどうしても仲間がいる。私がいま英語が読めなくて不便に思っているように、ほかの蘭学者も大変不便に感じているにちがいない。だって、いままで学んできたことでは役立たないんだから。とはいえ、私をはじめとしてみんな、ここ数年にわたり徹底して学んできたことが役にたたないから、これをすっぱり捨ててしまって英語をやろうとすれば、また新たに、あの苦しみをもう一度味わわなければならない。じつに情けない、つらい話である。102

関係づくりの心得

by shidarapress

親友もじつに多くいます。この通り、今日まで仲よく付き合ってはいますが、相手がいつ変心するか、これはわかりません。もしそうなったら、そのつきあいはやめなければなりません。つきあいをやめても、こちらの身に害を加えないかぎり、相手を憎むには及びません。ただ近づかないようにするだけのことです。コンナことで、友人がひとりなくなり、ふたりいなくなり次第にさみしくなって、自分ひとり孤立することになっても苦しくなんかはありません、決して後悔もしません、自分を曲げてまで、好きでもないつきあいを求めることはありません。これは少年のころから、いまにいたるまで決めていることです。308

護持院ヶ原(東京大学発祥の地)

by shidarapress

今度は日暮れから出かけていく。あの往来は、ちょうどいまの神田橋一橋外にある高等商業学校のあるあたりで、もと護持院ヶ原といって、大きな松の木などが生い茂っている淋しいところで、追いはぎでも出そうなところだ。そこを小石川からの帰り道、夜の11時か12時ごろ通るときの怖さというのは、いまでもよく覚えている。100

mindset 02

by shidarapress

会計上からして教員の不足することも度々ありましたが、そんなときにも私は少しもおろおろしません。生徒がいなくなるなら、それで結構。そのままにしておけばよい。教員が出ていくなら、ソレモ結構。いなくなるままにして、留めようなどと思うな。生徒が去り、教員がいなくなって塾が空き家になれば、残る者はオレひとりだ。そこでひとりの根気で、教えられるだけの生徒を相手に自分が教授してやる、それも生徒がいなければ強いて教授しようとは言わない。福沢諭吉は大きな塾を開いて、世の子弟を教えなければいけないなどと人に約束したことはない。塾の盛衰に気を揉むようなバカなことはするまいと、腹の底で究極の覚悟を決めた。だから塾を開いたそのときから、いつだってこの塾を潰してしまおうと始終考えているから、少しも怖いものはありません。307

タイミング

by shidarapress

時節の悪いときに、どんな書き手、どんな学者が何を書いたって、何を翻訳したって、私の出版物のように売れるわけがない。結局、私の才覚がスグレているというより、時代がエラかったのです。233

著書・翻訳事業

by shidarapress

私の生涯で一番骨を折ったのは著書・翻訳の事業で、これについては話すとなかなか長くなる。306