多和田葉子です.
あるところで、「〔エクソフォニー〕という言葉は新鮮で、気に入った」って書いたんですね.
あるところというか、『エクソフォニー』という、自分の本なんですけども.
そこでわたしは、こんな風に書いてるんです.ちょっと読みます.
やですね、物書きって.
自分の書いたものを、読んだりしますよね.
(軽く、咳払い)えっと.じゃあ、いきます、
「この世界にはいろいろな音楽が鳴っているが、自分を包んでいる母語の響きから、ちょっと外に出てみると、どんな音楽が聞こえはじめるのか」
「それは認識論上の越境であり、一寸した外出のつもりが大遠征になることもある——」
「これは〔外国人文学〕とか〔移民文学〕などという発想と似ているようで、じつは正反対かもしれない」
「“外から人が入ってきて、自分たちの言葉をつかって書いている”という受け止めかたが、〔外国人文学〕や〔移民文学〕という言い方に現れているとしたら、“自分を包んでいる(縛っている)母語の外に、どうやって出るか? 出たらどうなるか?” という、創作の場からの、好奇心にあふれた冒険的発想が〔エクソフォン文学〕だと、わたしは解釈した」
言葉を革新的に扱うはずの世界で、こうした exophony 現象が珍しがられている.このことが心底、意外だった.
というのは筆者自身、ビジネス界を中心に、exophonyを奨励してきたからだ.
対前年度比、販売、広告、戦略、コスト・パフォーマンスなどなど、誰もが、いわば「ビジネス母語」を持っている.それが、一人ひとりの発想と行動を拘束してもいる.
私は言う、
「この外に出よ」と.
ただし併せて、新しい言葉も提示する.
ある大手製造業の本社に行った.
「社員は、何人いるのですか」と訊いたら
「13万人いる」とのこと.
聞けば、社員たちは、優秀で、真面目だという.
だから、あえて訊いた、
「社員たちは優秀で、真面目.でも、この20年間、業績が下がり続けている.ということは、みなさんがビジネスに対して持っている暗黙の前提が、もう時代と合わなくなっている、と考えるのが、自然ではないのですか」と.
時代の転換期には、認識を変えること.
DXであれ、GXであれ、そのほか、今後現れる、あらゆるイノベーションのカギは、自分を包んでいる(縛っている)母語の外に出ること.
それは認識論上の越境であり、一寸した外出のつもりが大遠征になることもある——
だが、innovationとは、transformationとは、そういうものではなかったか.
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