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Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」の探究—

タグ: Max Perkins

言葉を削れない男

『失われしもの』は、ひとりの作家の若き日の肖像であり、その本のとほうもない長さが取りざたされた。原稿を見た人に言わせると、床から数フィートの高さになるということだった。実際には、薄いオニオンスキン紙で1114枚で、語数にして33万語、厚さ5インチだった。ウルフ自身も認めていたが、これほど大部の本ではまず読み通せないし、扱いにくいに決まっていた。そこで、トーマス・ウルフはひとつの方針を立てて縮小することにし、日記にこう書き記している。「第一に、すべてのページから、作品の意図に照らして重要だと思えない言葉を削ること。各ページから10語削除しただけでも1万語を減らすことができる」。そして、1月中旬からこの仕事にとりかかっていた。

ウルフは、友人宛の手紙にこう書いている。「作品の採用が決まったとき、せいぜい斧をふるって10万語ほど削るようにと出版社から釘を刺された」。パーキンズからもおおまかに指示されたのは、主人公にぴったりと焦点を合わせ、ひとりだけ際立つように削除の手を加えればいいだろうということだった。ウルフは長い時間をかけて『失われしもの』に手を入れ、その出来栄えに満足して、数週間後にはまたスクリブナー社に出かけた。パーキンズは、作品の詩情をすばらしいと思う気持ちこそ変わらなかったが、納得しなかった。ウルフの努力にもかかわらず、原稿はたった8枚分しか短くなっていなかったパーキンズに示唆された部分をほとんど削除したのはいいが、その前後をつなぐため、新たに書き足した言葉が数千語に膨れあがってしまったのである。287-88

しぶしぶ『グレート・ギャツビー』

成果は共につくられるものだが、その際しぶしぶが好結果を生むこともある。

◉ 出版の期日が迫るにつれ、フィッツジェラルドは落ちついていられなかった。とりわけ、題名に確信がもてなかったのである。3月初めには編集者に電報を打って、書名を『金の帽子のギャツビー』に変えたいのだが、遅すぎるだろうかと聞いてきた。編集者からの返事はこうだった。そのような変更をすればいたずらに出版を遅らせるばかりか、大きな混乱を招くだろう。そこでフィッツジェラルドは『グレート・ギャツビー』という題をしぶしぶ認めることにしたが、心のなかでは、これがいつまでも作品の傷として残るだろうと考えていた。

その小説が今日、英語で書かれた20世紀最高の小説に数えられている。

1 1922 Ulysses James Joyce
2 1925 The Great Gatsby F. Scott Fitzgerald
3 1916 A Portrait of the Artist as a Young Man James Joyce
4 1955 Lolita Vladimir Nabokov
5 1932 Brave New World Aldous Huxley
6 1929 The Sound and the Fury William Faulkner
7 1961 Catch-22 Joseph Heller
8 1940 Darkness at Noon Arthur Koestler
9 1913 Sons and Lovers D. H. Lawrence
10 1939 The Grapes of Wrath John Steinbeck

reference to this page: Modern Library 100 Best Novels. note: フィッツジェラルド(Francis Scott Fitzgerald, 1896-1940)。仕事をする意欲がなくなると決まって南のヴァージニアに向かった/グレート・ギャツビー(The Great Gatsby, 1925 )ニューヨークの証券会社に勤務する主人公ニックは、ギャツビーの世界を乗りこえて自分の物語を歩み始める。物語構成は、Ⅰ. ジェイ・ギャツビーとの出会い、Ⅱ.デイズィを愛し続けるギャツビー、Ⅲ.マートルの死、Ⅳ.ギャツビーの死。 ぼくがまだ若く、いまよりももっと傷つきやすい心をもっていたときに、父がある忠告を与えてくれた・・から始まる/マックス・パーキンズ( Maxwell Evarts “Max” Perkins, 1884-1947 )フィッツジェラルドの担当編集者。チャールズ・スクリブナーズ・サンズ所属。

『楽園のこちら側』

フィッツジェラルドは一章も送ってこなかったが、1919年9月の第一週に、完成した決定稿がパーキンズの机の上に届けられた。フィッツジェラルドは、原稿をかなり書き変え、パーキンズの提案をことごとく取り入れていた。語り口を三人称に変え、もとの作品から集めた素材をずっとうまく使いこなしていた。そして、作品の題名も新しくなっていた。『楽園のこちら側』と。

彼はマックスウェル・パーキンズから速達の手紙を受け取った。「このことをお伝えするのは、わたし個人としてもまことに喜ばしい次第ですが、わが社の意向として、あなたの作品『楽園のこちら側』を出版することが決まりました。前にお送りいただいた作品を尺度として考えますと、表現がいくらか変わり、全体として長くなってはいますが、非常によくなっていると思います。第1稿もそうでしたが、このたびも活力と生気に満ちあふれており、わたしのみるところ、はるかに均衡が取れているように思われます・・・。なにぶん異色な作品ですので、どれほど売れるか予測しにくいのですが、全社をあげてこの出版に賭け、精一杯努力する所存です」35-37

 

Hemingway & Max

ヘミングウェイはオーストリアへ戻り、そこで3月末までに『春の本流』の校正刷りに手を入れ、『日はまた昇る』の推敲を終えた。そしてまたパリに戻ると、初夏になったら「闘牛でも楽しもう」と、あれこれ計画を立てた。「飛行や闘牛も結構ですが、生命を大事にしてください」と、マックスは自分のいちばん新しい作家に注意をうながした。ヘミングウェイは、『日はまた昇る』を遺作にするつもりはないと答えた。205

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