オルダス・ハクスリーの書いた
『すばらしい新世界』(1932)の原題が、
Brave New World
だと知ったとき、
邦題から受ける感触と違った。
Braveは他動詞で使うと、困難なことに立ち向かう、という意味がある。
Brave the stormy sea だと、勇敢にも荒れた海に出ていく、となる。
ここではBraveは形容詞で使われている。
古語では「すばらしい」の意味があるという。
だが、先に書いた動詞のイメージから引きだした形容詞のイメージによって解釈するほうがおもしろい。
“すばらしい”と称えて、済ましてしまうのではなく、
いま出現しつつある、まったく新しい世界に向かっていこうとする
人間(たち)の姿が喚起される。
このイメージを、どういう日本語で表現するかは、また別の話だ。
いまは翻訳者としてではなく、読者として、この物語世界に参加しているのだから。
Braveという一語を使って、イメージを動かしたあとに、次の情報に触れた:
|本書が発表されたとき、評価は批判的なものが多かった。
|批判的どころか、公立図書館では禁書にされ、
|一時、オーストラリア政府に禁書扱いされた。
あまり、おもしろくないねえ。
|昭和7年に発表された物語だが、
|その先進性が称えられることも多い。
とはいえ、見てみると、この『新世界』の教育観を支えているのは、
I.P.パヴロフとJ.B.ワトスン(行動主義心理学の主唱者)だった。
これも、おもしろくない。
一方向で教え込む“教育”ではなく、
むしろ教育から“学習”への転換を掲げ、
それも“Co-learning”(共に学び合うこと:共同学習)を重視していたなら先進的だった。
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