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Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」へ—

タグ: 槙村正直

近代小学校の誕生

by shidarapress

CSR感覚に長けた経営者らによって、国の動きよりも先に、町人たちを中心に小学校の設立が進められていく。この経営者とは、京都・鳩居堂の主人を指す。東京の人には、銀座4丁目交差点にある鳩居堂といったほうがいいかもしれない。鳩居堂4代目主人は社会貢献活動に熱心だった。7代目はこれからを担う後進の育成に注力したし、8代目が日本で最初の近代的な小学校の設立にも携わっていく。この近代小学校の誕生にあたっては、福沢諭吉もアドヴァイザーとして関与した。

◉ 三条大橋の近く、三条御幸町の松屋に泊まっていた福沢諭吉のもとに、槙村正直(第2代京都府知事)が訪ねてくる。槙村は、日本で最初の近代的な小学校の設立に尽力したことでも知られる。設立の動きには、槙村と未来構想を共有していた、山口県出身の日本画家・森寛斎、それから京都・鳩居堂の8代目主人である熊谷直行も関わっていた(直行は、明治の東京遷都にあたって、銀座の4つ角に鳩居堂・東京支店を設立)。鳩居堂の歴史では、4代目主人・直恭が社会貢献活動に篤かったことが知られている。また、直行の先代、7代目主人である直孝が、これからを担う人材育成事業に力を注いだ。御幸町(ごこまち)に塾を設置して、読み書きを学ぶ場をつくった。これが日本最初の近代的小学校・柳池小学校の“母体”となっていく。8代目の直行は、この直孝の熱意を継いだ。日本最初の近代的な小学校の設立は、1869年の上京第27番組小学校(柳池校)とされるが、この設立に際して、熊谷直孝は私財を投じた功労者であった。国は、この3年後の1972年に学制を発布し、翌73年に官立の東京師範学校附属小学校を設立する。このように、国の動きよりも先に、町人たちを中心に小学校の設立が進められていく。京都に小学校が誕生するにあたっては、明治新政府の動きとは別に、福沢(思想家・教師)―槙村(行政)―森(芸術家)―熊谷(町人)というラディカルな結び目が、京都で張り巡らされていた。

⊆ 設樂剛事務所

福沢諭吉と京都(2)

by shidarapress

福沢諭吉が、門下生の早矢仕有的とともに京都入りする。三条御幸町の松屋に泊まった。明治5年5月1日、京都府下の学校を視察。6日『京都学校の記』を起草、10日には大阪へ。10日間の京都滞在中、槙村正直が、福沢をたずねに松屋にやってきた。

『福沢諭吉伝』に、こう記されている。

「宿屋の松屋では、先生が泊まられたときの身なりが粗末なのを見て、田舎の客と思い、ろくに待遇もしなかったところ、槙村知事が尋ねてきたのではじめて先生たることを知り、大いに恐縮して、にわかに座敷をかえるなど大騒ぎをした」

 

多田建次『京都集書院』玉川大学出版部, 1998より編集・作成

槙村正直による京都イニシアティブ

by shidarapress

槙村正直。明治元年から明治14年まで(1868〜1881)、草創期の京都府政を担当した。近代京都の成立に重要な役割をはたした、とされている。

京都は千年の古都とはいえ、近代都市へ脱皮するうえで好条件を備えていたわけではなかった。1.産業を興すには不利な内陸地、2.水資源、とくに工業用水の確保は、平安遷都以来、至難の課題であり続けたこと。3.天皇の車駕東遷による京都人の動揺、4.財政難に有効に対処できない行政システムなど。

槙村は、京都を新しくするために、次のような抱負を述べている。「この衰微する不便な土地を、充実と繁栄の地に変えてみせる」

槙村は、明治3年「京都府施政ノ大綱領」を三条実美に具申した。そこで彼はこう書いている。「広く海外の形勢を示して人智を発明すること」。

京都での事業(とくに農業、工業)を発展させ、インフラを整備するとともに、なにより教育・出版事業に関わることを重要な施策と考えていたのである。

 

多田建次『京都集書院』玉川大学出版部, 1998より編集・作成

福沢諭吉と京都(1)

by shidarapress

日本初の公共図書館設立までのプロセスを追うと、福沢諭吉の積極的な関与が明らかになる。福沢は10日間の京都滞在のうちに、京都府の槙村正直にたいして、社会教育の振興をうながした。それ以前にも、民間での図書館新設の動きがあったのだが、福沢はここにも関与している。大黒屋太郎左衛門(京都書籍会社)と村上勘兵衛(御用書林)らによる書集会社の創業の際に、「書集会社基本」という設立趣意書と規則書を書き与えている。

この自説について、著者は次のような断りをしている。

「私があえて大胆に『書集会社基本』福沢執筆説をとなえたことにたいして、所詮状況証拠をならべたにすぎず、決定的な根拠に欠けるとの批判があることは、十分承知している。(中略)大黒屋・村上両名が、福沢にことわることなく、彼の著作を換骨奪胎し、その文体をたくみにまねて、『書集会社基本』をまとめ上げただけのことなのかもしれない」(p.201)

 

多田建次『京都集書院』玉川大学出版部, 1998より編集・作成