shidara press

Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」へ—

タグ:

マルチチュード(5)

by shidarapress

「1なるもの」は、否定の原理です。あらゆる特異性、あらゆる複数性、あらゆる多様性の否定です。「1なるもの」が諸概念を支配しているかぎり、その支配の形態がどんなものであれ、「1なるもの」は差異を奪い去り、特異性を抹殺するのです。多様性の反対は、「1なるもの」です。それは疎外の原理であり、排除の原理です。マルチチュードが到達しうるのは、一方では「無数の内的差異」を認識することであり、他方ではそのなかに「共同的なもの」を認識することです。A.ネグリ207-8.

マルチチュード(2)

by shidarapress

「マルチチュード」 ( ⅰ )それは特異性の集合です。それは「一なるもの」に還元されない多様性のことです。単一の同一性からなるものには置き換えられない、無数の内的差異、すなわち「多」から構成されています。ですから「一丸となる」組織はマルチチュードとはいえません。( ⅱ )それは同一性からなる「人民(people)」とも、均一性からなる「大衆(mass)」とも、「労働者(laborers)」とも違います。(ⅲ)それは創造的な革新力の総体を言います。労働者の階級闘争はもはや存在しません。マルチチュードが社会変革の主体として登場してきたのです。(ⅳ)それは世界を創りかえようとする多数多様体のことです。世界の見方を変え、新たな価値観を生みだす集合的創造性です。( ⅴ ) それは非物質的労働の担い手です。これは2つの形態に大別できます。ひとつは「知的または言語的な作業」で、アイディア、シンボル、コード、テクスト、イメージなどを生みだします。もうひとつは「情動的作業」と呼ばれ、安心感、幸福感、満足、癒やし、興奮、情熱といった感情・情動を生みだす作業に関わります。( ⅵ )マルチチュードは、かつてのブルジョアジーや、その他の排他的・限定的な階級形成とは対照的に、自律・分散・協調的に、新たな社会を形成する能力をもっています。( ⅶ )無数の内的差異からなるマルチチュードは、相互のコミュニケーションや共同創造(Co-creation)を可能にする《共》(the common:共通の意識・認識空間のようなもの)を創りださなければなりません(だから「インターミディエイター」がいる)。