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Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」へ—

タグ: 京都

槙村正直による京都イニシアティブ

by shidarapress

槙村正直。明治元年から明治14年まで(1868〜1881)、草創期の京都府政を担当した。近代京都の成立に重要な役割をはたした、とされている。

京都は千年の古都とはいえ、近代都市へ脱皮するうえで好条件を備えていたわけではなかった。1.産業を興すには不利な内陸地、2.水資源、とくに工業用水の確保は、平安遷都以来、至難の課題であり続けたこと。3.天皇の車駕東遷による京都人の動揺、4.財政難に有効に対処できない行政システムなど。

槙村は、京都を新しくするために、次のような抱負を述べている。「この衰微する不便な土地を、充実と繁栄の地に変えてみせる」

槙村は、明治3年「京都府施政ノ大綱領」を三条実美に具申した。そこで彼はこう書いている。「広く海外の形勢を示して人智を発明すること」。

京都での事業(とくに農業、工業)を発展させ、インフラを整備するとともに、なにより教育・出版事業に関わることを重要な施策と考えていたのである。

 

多田建次『京都集書院』玉川大学出版部, 1998より編集・作成

福沢諭吉と京都(1)

by shidarapress

日本初の公共図書館設立までのプロセスを追うと、福沢諭吉の積極的な関与が明らかになる。福沢は10日間の京都滞在のうちに、京都府の槙村正直にたいして、社会教育の振興をうながした。それ以前にも、民間での図書館新設の動きがあったのだが、福沢はここにも関与している。大黒屋太郎左衛門(京都書籍会社)と村上勘兵衛(御用書林)らによる書集会社の創業の際に、「書集会社基本」という設立趣意書と規則書を書き与えている。

この自説について、著者は次のような断りをしている。

「私があえて大胆に『書集会社基本』福沢執筆説をとなえたことにたいして、所詮状況証拠をならべたにすぎず、決定的な根拠に欠けるとの批判があることは、十分承知している。(中略)大黒屋・村上両名が、福沢にことわることなく、彼の著作を換骨奪胎し、その文体をたくみにまねて、『書集会社基本』をまとめ上げただけのことなのかもしれない」(p.201)

 

多田建次『京都集書院』玉川大学出版部, 1998より編集・作成