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Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」へ—

タグ: グローバリゼーション

グローバリゼーション・ファティーグ

by shidarapress

グローバリゼーションの終わりが始まった、と主張するエマニュエル・トッドは、その意味と背景を次のように語る。なお、標題の「グローバリゼーション・ファティーグ」とは《グローバリゼーション疲れ》のほか、グローバリゼーションがもたらす《苦役》など意味が複数含まれている。

「ヨーロッパをひとつに束ねようとする試みは、今や失敗であることが明らかになっていると思います。イギリスがEUを離脱した第1の理由が移民問題ではなく、英国議会の主権回復だったことが、出口調査の結果から明らかになっています。ですからこれは、EU本部が置かれているブリュッセル、あるいは、EUの支配的リーダーとなっているドイツからの独立だったわけです。

背景にあるのは、行き着くところまで行き着いたグローバリゼーションへの反発でしょう。ご存じのようにアングロ・サクソン国家のイギリスとアメリカは、グローバリゼーションを牽引してきたトップ2カ国です。結果として、経済的格差がもっとも大きくなっている国でもあります。イギリスは、いわゆる「サッチャリズム」と呼ばれる市場原理主義的な経済政策を、アメリカのレーガン政権に先駆けて導入しました。「ゆりかごから墓場まで」に象徴される、手厚い福祉に護られてきた国民に対して、「個人の力」を強調しました。ところが、自らが世界に打ち出したグローバリゼーションにもっとも苦しめられた結果、旧来的なナショナルな方向への揺り戻しを行ったわけです。

グローバリゼーションが進んだ結果、先進国の人びとは、多かれ少なかれ似たような精神状況に置かれています。各国に共通するグローバリゼーションによる疲労を、「グローバリゼーション・ファティーグ」と名づけたいと思います。今回の「ブレグジット(英国のEU離脱)」は、おそらく統合ヨーロッパ崩壊の引き金になりますが、それ以上に重要なのは、世界的なグローバリゼーションの終わりの始まりを示す現象である、ということです。またイギリスが、自ら先鞭をつけたグローバリゼーションからいち早く抜け出そうとしているわけですが、こうしたイギリスの国民国家への回帰は、歴史的にも最重要の段階であると言えます」

 

note: グローバリゼーション・ファティーグ( globalization fatigue ):グローバリゼーション疲れだけでなく、グローバリゼーションがもたらす《苦役》や《労役》や《不快な仕事》、《激しい競争や激闘》、その体現者である《長時間働く人》など、複数の意味が含まれている/市場原理主義(market fundamentalism)/経済格差(economic inequality)/レーガン政権(1981-1989)。1989年も、また別の意味で大きな歴史の変動期であった。国内では1月に昭和天皇が崩御、昭和の最後を迎えるが、他方海外では6月に天安門事件(中国)、同月ポーランドで自由選挙が実施され、東欧革命の先鞭に。この後、共産政権打倒の運動が各国で興っていく。10月、ハンガリーの一党独裁が終焉、11月にベルリンの壁が崩壊、同月ブルガリアで民主化が始まる。同月ビロード革命で共産党政権の崩壊(チェコスロバキア)、12月にルーマニア革命(24年間の独裁政権の終焉, 1965-89)。1990年、東西両ドイツが統一、1991年にソ連崩壊。《東欧革命》という用語は、広義では、バルト3国の独立運動、および1991年のソ連崩壊までを含む。1991年12月25日、ゴルバチョフはソ連大統領の地位を退くことを発表。ソ連は69年の歴史を閉じ、消滅/1990年、自由経済の象徴ともいえるマクドナルドがモスクワに開店/ブレジネフ(書記長在任 約18年)の死後、比較的短期間で病死したとされるアンドロポフ(在任 約1年3ヶ月)、チェルネンコ(在任 約1年1ヶ月)と続き、1985年に書記長に就任したゴルバチョフは《新思考》という言葉を用いて、ソ連邦を覆う古い物語(ナラティブ)からの脱却を推し進めようとした/1989年の東欧革命の端緒を開いたポーランドでの劇的展開には、ワレサ(or ヴァウェンサ)のほかにもう一人、ヤルゼルスキ(Wojciech Jaruzelski, 1923-2014)というキイ・パースンがいる。ノーベル平和賞を受賞したワレサに脚光があてられがちだが、ヤルゼルスキについて、映画監督の宮崎駿はこんな見方を語っている。「日本の役割を考えたときに僕が思い浮かべるのは、ポーランドのヤルゼルスキ—なんですね。ワレサが「連帯」で運動していたときの最後の大統領ですが、僕がヤルゼルスキーを立派な男だと思うのは、彼は「連帯」を弾圧していながら死者を出していないんです。事故で一人だけ死んでいますが、弾圧による流血の惨事を起こしていない。それでいながら、ソ連に対しても「俺たちはちゃんとやるから」という態度を見せ続けた結果、ソ連は結局ポーランドに介入しなかった。つまり彼は、「連帯」を抑える振りをしながら、じつはソ連を抑えていた。ソ連に介入させなかった最大の功労者は彼だと思います。記念碑を建ててもらえるような英雄ではないし、格好も良くはないけど、批判を一身に背負いながらなんとか危機をやり過ごしてくれるような人物。今の世界に必要なのは、こういう人じゃないでしょうか」(宮崎駿『折り返し点 1997-2008』p.292-93.)

離脱(BREXIT)02

by shidarapress

エマニュエル・トッド( E. Todd, 1951- )が、ここ330年ぐらいのスコープで、BREXITについて次のような解釈をしている。「イングランドからはじまった産業革命は、ヨーロッパ全体を経済的に一変させました。そして、1688年に名誉革命によって、議会主義の君主制が確立されました。欧州各国で採用されている、近代的な民主主義の出発点はイギリスにあったのです。

1789年のフランス革命家の夢と目的は、政治的近代化のモデルであるイギリスになんとしても追いつくことでした。そしていま、そのイギリスが、自らが先鞭をつけたグローバリゼーションの流れから抜け出そうとしている(EU離脱の意味あい)。イギリスの国民国家への回帰は、歴史的にも最重要のフェイズだと思います」

note: 名誉革命(Glorious Revolution, 1688-89)この革命は政治史上、イギリスの《議会政治の確立》という点で大きな意義をもつ。これにより国王の絶対的な専制(※)を打破し、《議会》というコンセプトが政治システムの中核に据えられることになる。王権との調和の上に、君主制(立憲君主制)の基盤が形成された点で特筆される。こうした政治システムのイノベーションに到るまでには、次のような経緯がある。/まず、※ 国王の絶対主義的専制について。こうした時代には、それを支える、つまり国王の政治支配を正当化する物語(ナラティブ)が登場する。それが「王権神授説(divine right of kings)」で、これによれば、王権は神に由来するもので神聖にして絶対である。王は神にのみ責任をもち、人民は王の命令に反抗することは許されない/こうしたなか、フランシス・ベーコンの経験論を継承したトマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588-1679 )が登場すると、個人と国家の関係は《契約》によって成立すると主張。王権の正当性を、神ではなく、契約に置くという、別の物語(ナラティブ)をぶつけた。主著『リヴァイアサン』1651 の登場である。ただし、ホッブスは王政を否定することまではしなかった。とはいえ、新たな物語(=新たな正当性の基盤)を唱道したホッブスは、社会契約論の先駆的理論を提示したことになる。国王サイドは、王権神授説という既成のナラティブで対抗するも、1686年の名誉革命(上記)によって立憲君主制が成立すると、国王であっても「法と議会」のもとにしたがう、との原則が打ち立てられることになる。すると今度は、王権神授説という宗教的権威を否定し、新たに立憲君主制を正当化するナラティブを語る語り部が登場する。それがジョン・ロック(John Locke, 1632-1704)である(『市民政府二論』1690)。こうしてイギリスは、王権神授説という旧来のナラティブから脱却し、イギリスの議会制度が新たに成立していく(物語の革新→新制度の設計)。ロックの語ったナラティブ(政治思想)では、各人は立法者に対しても対抗権=革命権を持つと語られていたから、それは名誉革命を弁護するものであった。こうしたロックのナラティブは、18世紀のフランス啓蒙思想、アメリカの独立運動(とくに独立宣言, United States Declaration of Independence, 1776)にも大きく取り入れられていくことになる。ナラティブは越境し、新たな歴史を展開する原動力になっていく。