shidara press

Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」へ—

タグ: グリーンシュタイトル

カフェ「グリーンシュタイトル」

by shidarapress

フェリックス・ザルテン(ディズニー映画『バンビ』の原作者 )は次のように語る。若きウィーン派のたまり場、それはミヒャエル広場にあったグリーンシュタイトルであった。ブリュンから裕福な若者エドアルト・ミヒャエル・カフカが、ここにやって来た。彼は非常に温和で、いかなる文学的努力にも感激した。彼は月刊誌「現代文学」の発行を通じて、あらゆる人びとの青春の活動に奉仕する身となった。ヘルマン・バールがパリから帰国し、われわれの仲間に加わった。かれは千鳥格子のパンツに、褐色のビロードの上着といった、完全にモンマルトル族の服装に身を包んでいた。それに山高帽までかぶっていた。かれは、言葉や文章を通してすべての人たちを鼓舞し、刺激した。

reference to this page: 村山雅人『反ユダヤ主義:世紀末ウィーンの政治と文化』1995, p.213.を加筆・編集.  note: フェリックス・ザルテン(Felix Salten, 1869-1945)/グリーンシュタイトル(グリーンシュタイドゥルとも, Cafe Griensteidl )/ヘルマン・バール(Hermann Bahr, 1863-1934)

カフェ「ツェントラール」

by shidarapress

19世紀末のウィーンのカフェは頽廃を象徴するような場所だった。だがそのなかには次の時代を創るアイコニックな連中も混ざっていた。

◉ 作家や芸術家たちのたまり場だったカフェハウス「グリーンシュタイトル」が1897年に店を閉じると、常連たちはいっせいにカフェ「ツェントラール」へと移ってきた。亡命中のトロツキーも変名でよくここに足を運んだ。のちにロシア革命がおこり、新たに樹立されたソヴィエト政権でかれが人民委員になったとき、「ツェントラール」の常連たちは、「へえ、あの男が」と、さすがに驚いたという話は有名だ。 森本哲郎『ウィーン』1992, p.88を加筆・編集.