Some Postcards for a Post-Disciplinary Approach   —新しい「知と方法」へ—

デモクラシーの原理とは多数決原理であり、デモクラシーとは多数派支配を意味する。以下ではデモクラシーの欠陥と、その先について語られる。《支配》という、この分野特有の用語感覚もそのまま残している。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.六つの政治システム
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

プラトンは『ポリティコス』のなかで、政治システムを次の6つに分類した。

クセノフォンによれば、この六区分はプラトンの独創ではなく、ソクラテスも同様に考えていた。プラトンが加えたのは、その価値づけである。

まず、「単独者が支配する政体」、「少数者が支配する政体」、「多数者が支配する政体」の3つに区別できる。次に、それぞれが「法を遵守する形態」と「法を軽視する形態」とに区分できる。

統治形態遵法精神(重視)遵法精神(軽視)
・単独者支配王 政僭主政
・少数者支配貴族政寡頭政
・多数者支配良民政民主政

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2.デモクラシーの欠陥
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

プラトンによれば「単独者支配」は、法の精神が重視されているとき最善である。それが王政である。だが、法の軽視となると逆に最悪となる。それが僭主政である。「少数者支配」は、単独者支配と多数者支配の中間に位置づけられる。「多数者支配」は、あらゆる点で弱体であり劣悪である。ただ、それ以外の政治システムが法の精神を軽視する場合、つまり僭主政と寡頭政の場合、民主政はそれらに比べれば、ましである。

ましというだけで格段に良質でもなく、プラトンはデモクラシーには欠陥があると考えていた。事実、彼の場合、デモクラシーを根本的に否定する方向へ向かう。ソクラテスの死(前399年)の責任は、デモクラシー(多数派支配)にあると考えていたからである。

ここで改めて確認しておくと、デモクラシーの原理とは多数決原理を意味する。「民主主義」の語訳で知られるデモクラシーは「多数派支配」を意味する。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
3.デモクラシーの後に何を置くか
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

以下では、プラトンの「哲人王」と、アリストテレスの「王政回帰」を扱う。ここで、デモクラシー批判がそのまま無支配へ進むわけではなく、より優れた支配者を求める方向へ進んだことを示す。

王政 (monarchy)、僭主政 (tyranny)、貴族政(aristocracy)、寡頭政 (oligarchy)、良民政 (polity)、民主政 (democracy) 。

プラトンは、以上のような比較の上で、この6つの政治システムとは別に第7の政体を提案した。その考え方は、ソクラテスのような哲学者が統治するときに理想の国家ができるというもので、これは「哲人王」による統治形態である。

他方アリストテレスは、王政→僭主政→貴族政→寡頭政→良民政→民主政のあと、再び王政に還るとする循環論を唱えた。これは民主政によって衰退したポリスに、人並み外れた徳をもつ指導者が現れ、ポリスを再興する(=王政に還る)というものである。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
4.支配の揚棄 —支配から無支配へ—
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

対して『哲学の起源』では、哲人王でも王政復古でもなく、「イソノミア」という理念が提案される。ここでソクラテスは、イオニアの思想と政治——イソノミア(無支配)——を回復しようとした最後の人であることが示される。

ところが、当のソクラテスのこうした思想とは異なり、プラトンはソクラテスの名を借りて、哲人王による支配を説いてしまう。

そこを『哲学の起源』では、次のように記している。

「ソクラテスにおけるイソノミア(無支配)の追求は、プラトンにおいて哲人王による支配に転化された」と。

すなわち、プラトンのなしたことは「『支配』の揚棄ではない」——。

つまり、こういうことである。
「デモクラシー」は多数派支配である。しかし、その欠陥への応答を哲人王による支配に求めても、それは支配を別の支配に置き換える政治構想であって、支配という構造は残る。

『哲学の起源』がソクラテスに見いだすのは、別の支配者による統治ではなく、イソノミア=無支配である。

ソクラテスの対話は、政治的な公的領域とも、家事労働の場である私的領域とも異なる、コイノス(κοινός)という第3の場で行われていたという。そこは市民だけでなく、外国人、女性、青年、奴隷などからも構成される多様な交流の場であり、公職に就いて行う公務の場ではないが、共同活動を営む生活の場であった。

「デモクラシーの欠陥」を述べるのみなら、民主政から哲人王へ進んだプラトンも、なお「支配」の枠内にいた。この限界の先に、イソノミアとコイノスという別の政治的・社会的関係が提示される。

デモクラシーの欠陥を、優れた少数者または単独者の支配によって克服しようとするのか。
支配を前提とした政治システムそのものを問い、無支配としてのイソノミアを構想するのか。

ここに示されているのは、支配を別の支配に置き換える政治構想と、支配そのものを揚棄する構想との差である。


参照:柄谷行人『哲学の起源』(岩波書店, 2012年) 214–216頁。
脚注:デモクラシーに欠陥があるとする見解はプラトン、アリストテレス(Aristotle, BCE 384-322)、ホッブス(Thomas Hobbes, 1588-1679)、ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712-1778)らにも見られる。

クセノフォン(Xenophōn, BCE 426-355)。ソクラテスの弟子。

第7の政体とは、ソクラテスのような哲学者が統治するときに理想の国家ができるというもので、これは「哲人王」による統治形態である。柄谷の論述に拠れば、世界史上の事例として——古代政治思想から近現代史へ移るが——、ボルシェヴィズム(レーニン主義)がそれに該当し、ソ連邦崩壊とともに「哲人王」の理念は消滅したとされる。

イソノミア〔GK  isonomía〕iso- ísos: equal + nomos: law, usage, custom.

コイノス(κοινόςまたは コイノン(κοινóν