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Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」の探究—

タグ: 物語

物語を書く動機

神の声を聴く敬虔な人びとを、より魅力的に描くべきではないか。金や名声ではなく、このことが、私が物語を書く理由です。ウラジミール・ナボコフ

深層の地殻変動

現在私たちの生きている世界では、明らかにひとつの大きな 〈知の変貌〉 が起こってきている。それが全体としてどういうものであるかは、その変動そのものの中に私たちがいるので、容易にはとらえにくい。しかし、ある大きな変貌が 〈知〉 に起こっていることは、多くの人びとによって感じられている。それはイデオロギーの変化でもなければ時代思想の変化でもなくて、もっと基礎にある根本のもの、私たちの考え方や感じ方の前提となっているものの変化である。

身体、言語、時間、制度などの基本問題に人びとの関心がつよく向けられ、文化や人間や歴史の諸問題をそのような基底からとらえなおすことが、いろいろなかたちで試みられている。

中村雄二郎

reference to this page: 中村雄二郎『知の変貌 —構造的知性のために—』弘文堂, 1978, p.i.

On Narrative (2)

Your narrative gradually fixes your thought. Is it your belief or old, stubborn idea?

On Narrative (1)

We live in narratives.

復活する大国主義の物語

恐怖支配を敷いた独裁者スターリンが、再び英雄に祭り上げられている。ドナルド・トランプ大統領の誕生が多くのアメリカ人にとって青天のへきれきだったように、ソ連時代を知る人にとって、スターリンの復権はまさかの展開だと言われる。

とはいえロシアには強権的な指導者を求める国民感情が根強く存在する。ノースウエスタン大学教授のゲーリー・モリスンによれば、ロシア人にとって90年代の民主化の試みは、大国の栄光の歴史から逸脱した混乱でしかなかったという。

ソ連時代を懐かしむ風潮が高まるなか、プーチンの登場は「母なるロシア」への回帰願望をうまくつかみ、多くの国民に熱狂的に歓迎された。民主主義よりも大国主義への回帰というわけである。

スターリンの復権は、プーチン大統領が長年温めてきた構想だといわれている。スターリン時代を知る高齢者が次々に亡くなっていることにくわえ、独立系メディアがロシアにはほとんど存在しないことも手伝い、ロシア政府は歴史を自在に歪曲できる。このことも、高まるスターリン人気の背景として指摘されている。

いまや独裁者スターリンは「歴史上もっとも重要な人物」に選ばれるまでになっている(✽)。ロシアが欧米に対して敵対的な姿勢を強め、核戦争の脅威が現実味を帯びつつあるなか、こうした大国主義の物語と「強いリーダー待望論」が高まっている。

環連リンク:強いリーダー待望論の意味

reference to this page: Newsweek(2017.8.1)p.19より編集・作成 note: ✽ロシアの独立系調査機関レバダセンターの最近の世論調査。

美女と野獣

「美女と野獣」の発想を最初に考えたのは誰か。それはきっと女性ではないか。かつて荒俣宏が、吉本隆明との対談のなかで語っていたことである。

彼が言うには、あの物語には、どうも母親の心境が感じられる。父親と母親の心境の決定的な差異は何かというと、父親はイヤなものは排除できるが、母親は排除できない(しない)。自分で産んだものは面倒をみようとする。母性本能と通常呼ばれているものは結局それで、とにかく背負わされたものに対して面倒をみる。

ここで示してみせた荒俣の推察は当たっている。「美女と野獣」の源流には、17世紀末から18世紀にかけて現れた2人の女流作家の存在がある。マダム・ヴィルヌーヴとマダム・ボーモンである。

だから男性にはなかなか「美女と野獣」のようなものが書けない。男が書くとラヴ・ロマンスが悲劇となって終わってしまう。歌舞伎を見てもそうだが、女性の作家はいない。歌舞伎の美は「心中か, 殺し」で終わるケースがとても多い……。

ここには、どうしようもないものを背負ったときの男の解決の仕方が、よく現れている。

note: 美女と野獣( La Belle et la Bête,  Beauty and the Beast )/ヴィルヌーヴ夫人(1685-1755):Madame de Villeneuve, Gabrielle-Suzanne Barbot de Villeneuve(Villeneuve version, 1740年)/ボーモン夫人(1711-1780):Madame de Beaumont, Jeanne-Marie Leprince de Beaumont( Beaumont version, 1756年 )/ジャン・コクトー(1889-1963):Jean Cocteau(film adaption, 1946年)

未来への予言書

吉本隆明は、「病的な人物しか登場しない純文学は、未来への予言書である」と、なんとも看過しがたいフレーズをのこしている。一方では、目下、又吉直樹氏が現れたことで純文学的なものに触れる人びとの幅がひろがり、他方ではドストエフスキー熱が再燃しているが、とくに後者の物語にはたくさんの《病的な人物》が登場する。「ドストエフスキーは、未来への予見に満ちた驚くべき作品群である」(江川卓)という見方は、いまも色褪せてはいない。

  欧州に現れた世界3項構造の実験      —インターミディエイターの出現—

フランス大統領選は、5月の決選投票を前に「右でも左でもない」中道派が大躍進している。その顔となるのがエマニュエル・マクロンだ。極右政党・国民戦線の党首ルペンを破るとの情勢分析も現れている。しかし、ここには「右でも左でもない」ことの苦悩があり、大統領当選後に待ち受ける「試練」があるという。何かと思えば、それは、続く6月に行われる議会選挙で「右と左」、すなわち既存政党と闘わなければならないことを指している。右とは共和党であり、左とは社会党である。

大統領になったからといって辣腕を振るえるわけではない。大統領権限の多くは首相の支持を必要とし、首相の任命は議会の同意を要する。よって、議会で過半の議席を得られなければ、大統領として真の政治力を手にしたとは言えない。Newsweekは、マクロン率いる政治グループ「前進!」が、自らのアイデンティティを確立して、議会で過半数を取れるか? と問うている。過半数を取れなければどうなるか。左右どちらかと連立を組むことになる。この関係に身動きがとれなくなれば、「右でも左でもなく、前進を」との大義が損なわれるという。

「世界は3項構造でできている」とする認識論では、〈中間〉というのは立派な存在項だが、右か左でなければ明確なアイデンティティを確立するのに苦労するだろうというのは、世界は2項でできているという2元論が背後に控えている。両者の〈中間領域〉という存在は存在ではなく、何もないに等しい。

「どこからともなく現れた中道政党が、フランス議会で過半数をとった歴史はない」とフィリップ・マルリエール(ロンドン大学教授)は語る。だが「フランスではもはや左も右も時代にそぐわないし、中道派はいまや強力な新勢力となっている」 「今後の展開は読めない」とマルリエールは続ける。だが言えるのは、中道派が大統領に当選すれば「フランスの政治が再構成される」ということだ。中道派マクロンの大統領選出は、フランスは未知の領域に突入することを意味する。

ここには、第3項である〈中間領域〉から環境を再構成していく「インターミディエイター」現象の萌芽が見られる。右と左という2分法のメガネでは見えにくい勢力。それゆえアイデンティティの脆弱性を問われてしまう存在のように書かれているが、そうではない。世界を3項構造で見る者からすれば、ここには極端さと単純さに代わるもうひとつの選択肢と、素朴な2分法を超えた新たな知性が示される可能性がある。

右派・左派という言葉の起源となったフランス政界で、そのどちらでもない勢力が現れた。インターミディエイターの登場は、2元論では支えきれない多元社会の必然である。だが、政治の世界に渦巻く狡猾さと厳しい勢力争いのなかで、中間領域から現れた新勢力は、右と左に引っ張られながら、まっすぐには歩けないだろう。しかしそれは、すでに行き詰まった政治=言語システムに新しい突破口を開くうえで不可欠な歩行である。未知の領域にふみこむ以上、有権者と、そしてその国の未来に思いをはせる人びとに届く、新たな言葉と物語が必要である。

reference: ジョシュ・ロウ+クレール・トゥレーユ「『右でも左でもない』苦悩」, Newsweek, 2017年4月25日号, p.36-37.

物語は不足から始まる。

次の一節を読んで、何人かの顔が思い浮かぶから引用しておく。「神がわれわれに絶望を送るのは、われわれを殺すためではなく、われわれのなかに新しい生命を呼び覚ますためである」。ヘルマン・ヘッセ

オデュッセイア:島の物語

『イリアス』の続篇にあたる『オデュッセイア』。本作は『イリアス』同様、全24歌から構成される。合計1万2000行の長編叙事詩。物語の主な舞台はイタケ島(Ιθάκη)である。第1歌〜第2歌、第4歌の一部、そして第13歌〜最後の24歌の物語が、島で展開される。

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