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Some postcards for a post-disciplinary approach —新しい「知と方法」の探究—

カテゴリー: Column

カルボナーラとバルザック

彼はいま、カルボナーラを食べながらバルザックを読んでいる。バルザックは1799年、18世紀末に生まれた人だが、このころイタリア南部に現れたのが「カルボナリ」と呼ばれる結社であった。カルボナリとは木炭をつくる人びと、つまりチャコール・メイカーズ(charcoal makers)のことで、彼らはウィーン体制に抗い、自由を求めて、社会変革運動を展開した。当時イタリア北部は、オーストリアに支配され、民族もイタリア内部もいくつもの国々に分断されていた。民族の独立と市民の自由を求めて統一を実現し、国民国家の形成を目指す運動を推し進めようとした。さまざまな起伏ある活動の末、その試みと所期の目的は、1860年に一応の達成をみることになる。よかったね。

こんなことを記したのはほかでもない。カルボナリによる社会変革運動は、イタリア統一を目指す運動の第一歩として位置づけられるからだ。世界の物事や歴史の運動は、そのはじまりを見なければならない。多くの人びとが見るのは、運動の中盤か終盤、つまり華やかなときか、ダメになったときである。

ビジネス・クリティーク

なぜ文芸や政治や映画には批評家・評論家(クリティーク)がいるのに、ビジネス・クリティークはいないのか。少なくとも今日の時点において、それが社会のなかに職業として充分定着しているとは言いがたい。仕事やビジネスは、これほど人びとの日々(にちにち)のできごとに関わっていて、人間の生き方、そして社会や文明の方向に強く影響を与える行為・活動なのだが。

評論というのは、物事の善悪や価値などを論じることである。評論家はそれを職業とする人をさすが、ここから派生して、自分では手を下さず、ただ意見や批評を述べるだけの人を揶揄していう語にもなった。だが、これは第1カーブにおける評論家の定義である。第3カーブ型のクリティークは、プロセスの外側にいるどころか、むしろ実践のプロセスに参加・関与する存在である, と指摘しておこう。

note: Business critique

Blue Hour

“Blue Hour”で画像検索してみてください。ひとつの言葉や概念が、別の風景を見せてくれることがわかると思います。ビジネスでも同じことで、ひとつの概念が、見えなかった風景や忘れていた大切な世界を見せてくれます。

もうひとつのA.I.

ビジネスとの関連で、A.I.をめぐる論議が活発化しています。この場合のA.I.は人工知能です。このとき、どれほどA.I.が発達しても、CEOが考えなければならない、もうひとつのA.I.があります。それが “ Adapt & Innovate ”です。Every business needs to adapt and innovate. これは「適応と革新」ですが、どんなビジネスも、この2つを忘れてはなりません。

物語を書く動機

神の声を聴く敬虔な人びとを、より魅力的に描くべきではないか。金や名声ではなく、このことが、私が物語を書く理由です。ウラジミール・ナボコフ

ビジネスにおける「生の哲学」

フランスの「生の哲学者」ベルクソンは、経営者を例に挙げて「快楽と歓喜」を区別した。「自らの営んでいる事業の繁栄を眺める事業主は、お金が儲かったことや有名になったことのために、歓ぶのでしょうか。富や名声は、もちろん経営者が感じる満足のなかで大きな要素を占めてはいます。しかしその富や名声は快楽であって、歓喜ではありません。彼ら経営者がほんとうの歓び(歓喜)を味わうものは、発展する企業を創造し、何かに生命を吹き込んだという感情なのであります」

ベルクソンがいう、快楽とは区別されるところの歓喜/歓びとは、発展する事業や企業を創造する歓びをいう。さて明日われわれは、一体何に生命を吹き込むのか。

次代の担い手はどこにいるのか

「大企業の中にいる人たちを どうこうするのではなく、その外側にいる人たちに火をつけたほうがいいです」

先だって研究会でこんなやりとりがあった。参加者のおひとりが いわゆる大手日本企業の執行役員なのだが、彼がそう言うのである。彼は続ける。

「意欲的な人たちは、外に出ていますから。スタートアップの人たちなどは『生の息吹』を感じます」。

「これは確信に満ちたご意見ですね?」と言うと、「はい」と彼は応えた。

この日は、 H. ベルクソンの「エラン・ヴィタール(生の飛躍)」を取りあげた会だったから「 生の息吹 」という言葉が出てきたのだろう。この先10年後の日本経済はかなり厳しくなるだろうけど、変化と創造の担い手がどこにいるのか、もうはっきりしていると思うんだよね。

崇高な思想

崇高な思想も 長々と話せば 寝言になる。

深層の地殻変動

現在私たちの生きている世界では、明らかにひとつの大きな 〈知の変貌〉 が起こってきている。それが全体としてどういうものであるかは、その変動そのものの中に私たちがいるので、容易にはとらえにくい。しかし、ある大きな変貌が 〈知〉 に起こっていることは、多くの人びとによって感じられている。それはイデオロギーの変化でもなければ時代思想の変化でもなくて、もっと基礎にある根本のもの、私たちの考え方や感じ方の前提となっているものの変化である。

身体、言語、時間、制度などの基本問題に人びとの関心がつよく向けられ、文化や人間や歴史の諸問題をそのような基底からとらえなおすことが、いろいろなかたちで試みられている。

中村雄二郎

reference to this page: 中村雄二郎『知の変貌 —構造的知性のために—』弘文堂, 1978, p.i.

A Definition of Philosopher

Philosopher は、いかなる観念共同体の市民ではない。
そのことが、彼を philosopher たらしめる。

L. J. J. Wittgenstein

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