記号の運動

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「記号」のことなら池上嘉彦先生だと思い、ご自宅を訪ねた。すると懇切に、どれも大切なお話をしてくださった。以下は、その要約である。聞きながら触発されたので、適宜、こちらの使うことば(記号)と組み合わせておいた。

・「ママ」という言葉を、自分の母親と同年齢ぐらいの女性に区別なく起用する幼児は、周囲の人たちから注意され、そのような捉え方や使い方の許されないことを知る。つまり、ひとつの言語を習得するということは、ひとつの特定の捉え方・振る舞い方——ひとつの「イデオロギー」——を身につけることでもある。

・ひとたび身につけた意味づけのシステム、ないし、言葉の決まり(「コード」)——それが慣習として確立すると、それは逆に、それを身につけた人を捕らえて放さない「牢獄」にもなる。それを捕らえた人間のほうを、今度はそれがとりこにする。つまり、意味づけのシステムに捕らえられた人間は、その意味づけのシステムの決まりに従って、ものをとらえ、行動するのである。こうして人間は、あたかも機械のように動き、思考する。いいかえれば、すべてが「自動化」する(まだ一度も面識がない相手に「いつもお世話になっております」と言われたとしたら、これもまた、ビジネスの場における「自動化」の現れである)。

・ひとつの言語を習得して身につけるということは、その言語圏の、文化の価値体系を身につけ、何をどのように捉えるか、振る舞うかに関して、ひとつの枠組みを与えられるということでもある。

・ある場のなかで身につけられる価値体系や、ものの捉え方の枠組みは、決してそこから抜け出せない、といった性格のものではない。しかし、私たちが日常的なレベルで、意味づけのシステムを自然なものとして、とくに疑問を持たずに受け入れている限りは、ある「言葉の決まり」の中で、つまり、ある思考枠組みや行動規範の中で活動していることになる。

・人間は、一方では、意味づけのシステムといった、決まりや秩序を導入しなければ気が済まない存在であるのと同様に、他方では、完全に秩序づけられた閉じた世界に長くは安住していられない存在である。
・遅かれ早かれ、創造への営みに人間は駆りたてられる。そして、既成の秩序・体系・決まりごとを、部分的になり、全面的になり、組み替えることを試みるようになる。そして、手元にこう書いた。——こうした記号の部分的、全面的な組み替えを、《知の再編成》と呼ぶ。

・ここでいう言語とは、日本語や英語といった、いわゆる国語に限らない。個々の組織にも、固有の言語がある。業界特有の言葉があったり、いち所属先においても、会長や市長の言葉を踏襲しなければならなかったりする。いわば組織とは、場とは、記号の学校であり、言葉の学校である。

・その「場」に特有の言葉(言語記号)を習得することで、人は、特定の——つまりその文化圏の、その業界内の、その組織固有の——発想と行動を身につけていく。そして平均的な、あるいは時代にそぐわない意味づけのシステムをつくりなおさないままでいると、業界全体が、組織全体が、あるいは、そこに所属する人びとが、次第しだいに陳腐化し、価値のとぼしいものに変化していく。イノベーションの鍵は、記号の運動にある。

・ただし、ただ記号を動かせばいい、というものではない。大事なのは、未来が見えてくる記号だ。歴史語りばかりしていても(そのよさはあるにしても)、ビジネスの未来を示すことはできません。

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