22世紀のエートス

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夜8時、東京へ向かう列車に乗る。
車内販売で、思いがけず手厚い親切に触れる。


ボードリヤール( Jean BaudrillardJ.B.)について書かれた小冊子を開く。
Baudrillardの眼がとらえた、18世紀以降の、社会の大きな動向を概観する:

1.近代社会とは、西欧社会で、産業革命と市民革命を経て出現した社会である。いいかえれば、そしてBaudrillardの見方によれば、近代社会とは「資本主義とデモクラシー」を前提とする社会である。

2a.「資本主義とデモクラシー」という、西欧近代を特徴づける価値観は、20世紀に入って脅かされる。社会主義と全体主義が出現したからである。

2b. だが、第2次大戦が、全体主義を打ち砕く。そして世界規模でひろがる消費社会と情報社会が、社会主義を解体した。

3.こうして、現代社会の中に「資本主義とデモクラシー」という、近代社会の層が残存している。しかし現代は、20世紀を特徴づけた、機械(オートメーション)による、モノの大量生産の時代を超えて、モノが記号化され、情報化されて、差異のシステムのなかで生産・流通・消費される、“シミュレーションの時代”(ボードリヤールの用語)に入っている。

4.この状態は、①18〜19世紀における西欧起源の近代社会とも違うし、②20世紀にみられた大量生産・大量消費型の近代社会とも異なる。要するに、③現代社会は重層構造であって、「資本主義とデモクラシー」を特徴とする近代社会の層をもちながら、そこに従来とは異なる層が重なり合っている。これは①記号社会、②情報社会、③差異のシステムという特徴をもっている。

5.このため、現代の市場(marché)は、いわば記号の市場、情報の市場、意味の市場であり、現代の需要は、いわば記号作用、情報作用、意味作用から生まれる。ボードリヤールは、大体このような観方を50年前に書き残した。

手元の情報端末を開く。操作を誤る。
だが不思議なことに、“J.B.『物の体系』1968” と書き留めたデータが出てくる。そこには、こう記されている:

——物を、物理的存在、機能的存在とみるとともに、「世界内存在」として、つまり、物を物としてみることを拒否して、物をまずなにより記号として、あるいは“記号のシステム”としてみようとする。

この分野特有の、長々とした文章。
彼は「物を、世界内存在、記号のシステム(意味的存在)」として見てみよう、と呼びかける。

ボードリヤールへの不満は、①「市場」を狭く捉えたこと、②彼が現代の人間行動のなかで、消費行動を最重要なものとして捉えた点である。消費行動ではなく、生活行動としてくれたら、ずっとよかったのである。彼といるといつまでも「消費」概念と付き合わされてしまう。彼の言い分では、消費を“欠乏の充足”ではなく、“差異の表示”だと見た。

だが、“欠乏の充足”や“差異の表示”といった消費行動ではなく、“他者との協働”と、それが“自己の歓び”になる生活行動が、次の時代のエートス(ethos)となるよう、引きつづき働きかけたいと思う。

Baudrillardという、古典のふりをした予言の書を読み終える。
次第に目的地が近づく。

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