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これもビジネス論として聞いてもらえるとよい。

プエルトリコ系、パレスチナ系、アフリカ系アメリカ人、そしてソマリア生まれのアメリカ人。これら4名の女性議員に対して、トランプが「彼女たちが、この国(アメリカ)を愛することができるとは思えない」とツイートした。

I don’t believe the four Congresswomen are capable of loving our Country. 

トランプは、7月14日、以上の4人を“進歩的な”女性議員たちと皮肉交じりに一括し、次のようにツイートしている。米国がイヤなら「出身国に帰ったらどうか」と(Why don’t they go back)。4人ともアメリカ籍だが、あたかも外国人を排斥するような発言になっている。

こういった社会現象や対人姿勢を“Xenophobia”という。ゼノフォビアと読む。排除の原理のことで、とくに外国人の排斥を意味する。「外国人嫌悪」と訳されることもある。

Xenophobiaの類語をいくつか:

レイシズム(Racism)、エスノ・セントリズム(Ethnocentrism)、ナショナリズム(Nationalism)、ジンゴイズム(Jingoism)、イントレランス(Intolerance)、南アフリカのアフリカーンス語では、アパルトヘイト(Apartheid)。

こうした語関連からも解るように、《ナショナリズム》、《排外主義》、《攘夷論》は相互にリンクしている。だから、Xenophobiaは、近年に限った現象ではない。

こういう現実につける薬はなにかというと「物語」である。「ナラティヴ」ともいう。shidara pressではしばしば出てくる概念である。当薬師堂としてはいろいろな薬(ナラティヴ・メディスン)を用意しておきたいのだが、さてどうするか。

いま、排除の物語は世界中に溢れている。一方、多様性の物語もけっこうたくさんある。国連がその発信源にもなれば、ビジネス界でさえ多様性を謳う。ただ、多様性を認めても、放っておけばバラバラになって散逸する。ここにまとまりをつけるのが、「多様性のなかの対話」だ。引きつづき、奨めていきたい物語である。

Narrative as a Medicine
Xenophobiaが渦巻く世界で、主人公は自らの多様性許容度を高めながら、各所での対話を着々と実行にうつす人物。なかなか愉快な傑物である。物語はこの主人公を中心に展開する。主人公の身に、いったい何が起こるのか。この先どんなことをくぐり抜けるのか。いろいろと不思議なことが起こっていく。