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ベイルートで出会った神父がこういった。

「〈コスモロジー〉という魅力的な言葉がある。2つの意味を聞かせよう。ひとつは、自然科学や天文学的な意味での宇宙論であり、もうひとつは、もっと人間の内面世界のことだ。まあ、これは心の中で構成される意味空間や世界イメージのことだと思えばいい。都市のような劇的空間や、心の深層などの問題を考える上で、後者の意味での〈コスモロジー〉があらめてクローズアップされるようになった」

「宇宙空間から、心の深層空間まで、随分広い範囲をカバーする概念なんですね」

「そうだ。だから魅力なんだ」

「〈コスモロジー〉というのはね、シンボリズムなんだよ」

「シンボル…。象徴的なものと関係があるということですか。何かに例えるとか」

「そう。〈コスモロジー〉とは隠喩的なものなんだ」

「宇宙を語るとき、いろいろなものに例えられていることがありますね。銀河系だったり、ドーナツ星雲だったり。ブラックホール(黒い穴)も例えですね。さっきの話では、心の深層空間も〈コスモロジー〉ということでしたね。ぼくらの心は隠喩でできてるんですか?」

「人間というのはね、隠喩によって、そうとうにいろいろな事物を認識しているんだよ」

「あの、これみてもらっていいですか」といって、彼はカバンの中からNewsweekを取り出した。この、“Mr.ブレグジット”と呼ばれている人がいるんですけれど。ええと、ナイジェル・ファラージュといって……」

「 イギリスの 」

「 そうです、イギリスで新政党をつくった人なんですけど」

「 彼がどうしたんだね」

「 “Mr.ブレグジット”が憎々しげに『グローバリスト』という言葉を使っていまして。記者が、それはどういう意味で使ってるんですか? と聞くんです」

「その“Mr.ブレグジット”は、イギリスをEUから離脱させて、イギリスという国の権威と独自性をあらためて強調したい人物だったね。だから彼のいう『グローバリスト』は、彼とは反対の〈コスモロジー〉をもつ人たちということだね」

「そうなんです。“Mr.ブレグジット”によれば、彼が敵視する『グローバリスト』というのは、こういう人たちだそうです。ええと、『国民国家の当然の権利、つまり独自の法律を策定し、独自の法廷をもち、独自の国境管理を行うといった機能を、国家より上に位置する機関に委ねることを支持する連中のことだ』とありますね」

「なら、彼は円錐状の〈コスモロジー〉をもっているかもしれない」

「底面の円がEU、円錐の頂点がEU本部ということですね。ブレグジットというのは、この円錐世界からイギリスが抜け出ることか」

「円錐、逆円錐、平面、襞、円環、網など、人はさまざまな〈コスモロジー〉を心の中に創り出す」

「その〈コスモロジー〉の違いが、発想や行動や政策の違いとなって現れるのですね。じゃあ、その〈コスモロジー〉を造形するのは何なんですか。なにによって〈コスモロジー〉ができあがるんですか」

「何だと思う」

「うーん」

「……」

「うーん」

「……」

「うーん」

「ではいうけれども、それはね〈物語〉だよ」

「ああ、ここで〈物語〉が出てくるんですね。ここでいう〈物語〉もまた広い範囲をカバーする概念なんですか」

「そう」

「例えば?」

「〈物語〉は文学の専有概念ではない。文学も、科学も、宗教も『物語』なんだよ」

「 あー、よくできた〈物語〉だ」

「 できそこないもたくさんあるがね」

「 だから 〈物語〉は“増築”したり、“改築”したりもできるんですよね」

「 継ぎはぎだらけの〈物語〉か」といって神父は笑った

「 じゃあ、心の深層を手当てするのに〈物語〉は役に立ちますか。〈コスモロジー〉の修復というか、修繕というか……」

「 そう考える者もいるな。さ、そろそろお勤めの時間だから失礼するよ」

「もう行ってしまうんですか」

「この先は、あなた自身が考えるんだ」

「また連絡していいですか」

神父、静かに頷き、その場を去る。

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