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物語的動物としての人間

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「人間と物語は切り離せない。『物語的動物としての人間』の話は、以前にしたね」と、彼は言った。
「ええ、あれはおもしろかったです。そういえば先日、エール大学のロバート・シラー(Robert Shiller)が『大半の人はナラティブで考えるが、経済学者はナラティブに弱い』と発言してましたね。Forbesに記事が掲載されていたので、それを読んだんですけど。で、シラーは言うんです。『ナラティブが、人間行動の原動力になる』と」
「経済の学を知り尽くした人が、みずからの限界を自覚し、さらに認識を広げようとする。すばらしいことだし、これはエコノミクスの観点から人間理解が進むうえで、大事な一歩だと思う。シラー氏は、ナラティブが人間と経済にもたらす負の側面にも言及していたが、目配りのよい 大切な知的態度だね。ナラティブには魅力と魔力があるから。たしかロバート・シラー博士は、ノーベル経済学賞をとってたよね」
「はい、2013年に」
「経済もビジネスも『言語ゲーム』であり、そして経済やビジネスという現象は『言葉と物語』がつくっている。そういうことをはっきりと語っていくときでしょう。ところで、近代史に焦点をあてると、17世紀、経済の計数化に力を注いだのがウィリアム・ペティだったね」
「政治算術ですね」
「そう。それで、その考えがアメリカに渡って、アルフレッド・マーシャルが数理経済学を打ち立てる」
「新古典派経済学の代表的論者ですね」
「近代経済学は、こうした計数化、数理化の連綿とした知的伝統を築いてきた。こういう知的背景があって、冒頭のシラー氏の発言につながっている。ただし、彼が考える以上に、物語がカバーできる領域は膨大で、0と1の世界、貨幣換算の世界とはべつに、数値に容易には還元できない広大な領域がある。しかも、数値で表現しては、どうしても心に響かない領域だってある。つまりナラティブなしにはカバーできない領域が、この世の中に、そして人間の脳の中に広がっていることを言っておきたいですね。そもそも学問それ自体がナラティブだよ。だからよく構成されたものもあれば、そうでもないものもある。そして政策だってナラティブだよ」「いたるところにナラティブが関わってくるのですね」
「そう。ある特定の地域や時代のなかで、人間の思考様式や認識枠組みを形成するものだからね。これからの時代や社会をつくる上で、ナラティブという観方は、ますます欠かせないものになっていくよ」

ラウンジを出たふたりは、ロビーに向かって歩いていた。
「さっきちょっと気になることがあると言ってましたね」
「そうだね。記事だけを見ると、シラーは、ナラティブを噂話や流言のようなものとして捉えている節があるんだ。でもそれは表層のナラティブだね。ナラティブには表層・中層・深層がある。けど、その話はまた別のところでしよう」と彼は言った。

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