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あれは1998年のことだったと思う。エメットは側にあった一冊の本を手に取った。ページを開くと、執事と女中が会話をしていた。その文章は知性を感じさせた。筋よりも、その知的な文面を追いたくてついつい5ページ、6ページと読み進めてしまう。このときエメットは、ある半ページほどの記事を思いだしていた。ずいぶん前に目にしたものだった。イシグロは、この小説の前に出版した作品で注目を集めていた。だが、その後身辺が騒がしくなり、日々の執筆のリズムを崩していた。気づけば原稿はさっぱり進んでいない。貧しい進捗ぶりに閉口した。そこでイシグロは一切の対外的要請を断り、執筆だけに専念できる環境を整え、4週間で原稿を書き上げる。The Remains of the Dayというタイトルが付いた。Booker Prizeをとった。エメットは、その国には知的な文章を讃える文化があることを知った。

すっかり静かに高揚したエメットは、しばらくして読後感を綴った:
知的なテクストとの相互作用が、知的な人間を育む。そして知的な人間の集まりが、知的な社会をつくりだす。「知的な」とは、配慮のある、賢慮に富んだ、ということでもある。だから、知的な社会とは、配慮ある社会でもある。逆に、「知的」という言葉から、そんな連想がしにくくなっているところに、現代の知が傷(いた)んでいることに気づくことがある。「知的な」という言葉の意味を豊かにしたいし、そうした意味の回復があってこそ、現実も静かに呼応し、動いていくのだと思う——。