ソクラテスの問答法

投稿者: shidarapress

柄谷行人です。ええと、ぼくは『哲学の起源』という本を2012年に書きまして、そのなかで「ソクラテスの問答法」について取りあげました。197ページあたりですね。そう、そこです。はい。で、ソクラテスの問答は、通常「対話」と呼ばれるものとは異質であるとぼくは考えているんですね。それは、異なった意見をもつ者が話しあい、説得しあうといったものではまったくないからなんです。だって、ソクラテスは「問うだけ」なんですから。ソクラテスの問答法は、プラトンの著作を通じて知られているのですが、実際それは、プラトンの「対話」に書かれたようなものではなかったと思うんです。プラトンは、問答がまるで一定の終わりといいますか、一定の目的に向かって進んでいくように書くわけです。そうした対話は、実際のところ自己対話です。要は、内省であって、他者との対話とは言えません。他者との対話は、こんなに都合よく完結するはずはないんですよ。

ソクラテスの「対話」は、まあ、そう呼んでいいならですけれど、彼の対話の特徴は、対話者の関係の非対称性にあるんですよね。これに類似するのはフロイトです。彼の創始した、精神分析における患者と分析医の関係ですね。これは「対話」療法と呼ばれます。通常の対話とは異なります。これは患者の「自覚」を引き出す産婆術に近いんですよ。

ただ、ソクラテスの問答法というのはけっこう強引だったわけです。ディオゲネス・ラエルティオスはこう書いています:

ソクラテスの議論はますます強引なものになっていた。だから彼は人びとからげんこつで殴られたり、髪の毛を引っ張られることもしばしばであった。

どうやらソクラテスの問答法は、相手の側に、過度の転移や抵抗をもたらしたことが想像できるわけです。ソクラテスという人は、アゴラと呼ばれる広場や市場に行って、誰彼となく話しかけるんですね。そこから問答が始まっていく。これはなかなか注目すべきことです。彼は民会に行く代わりに市場に行った。というのも、市場というのは決して公人にはなりえない人たち、まァつまり、外国人、女性、奴隷がいたわけです。民会にはデモクラシーがあるとすれば、広場や市場にはイソノミア、つまり自由がありました。アテネでは、広場・市場にしか自由はありえなかった、といっていいんですね。ですから、もっぱら広場のほうで活動することで、ソクラテスはそうと知らずに、イオニア的な思想を回復させていったわけです。

それとソクラテスは、かつて誰もやったことのない方法をとりました。それが一人ひとりとの問答です。彼は聴衆全体に向かって語ることはありませんでした。こうした問答のプロセスで、ソクラテスはただ「問うだけ」です。積極的なことはおよそ何もいわなかったんですね。どんなに相手がたくさんいても、一人ひとりと問答しました。彼は自ら編み出した問答法を「産婆術」と呼んでいました。人に教えるのではなくて、相手の思い込みを払拭して、もうひとつの認識に到達することを助けようとしたわけです。

 

 

 

 

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