魯迅が『狂人日記』を発表した。
1918年5月のことだった。
このとき初めて、
「魯迅」というペンネームを使用した。
ペン先に込めた思いは、
ただひとつである。
中国の古い社会制度を撃つ。
魯迅の狙いは、そこにあった。
そして、この問題意識は、
当時の新思潮と共通していた。
とくに「家族制度」、そして、その精神的支柱である「儒教倫理」の虚偽を、何としても明快に発(あば)かねばならない。
その強い決意が、この作品にみなぎっていた。
創作小説の体をとり、口語型にして、広く読まれる工夫もした。
魯迅躍動の背景には、陳独秀がいた。
『狂人日記』は、陳が独力で創刊した『新青年』に掲載された。
それまで掲載してきた翻訳小説では不十分だ。
魯迅は筆を執り、陳独秀がメディアを設える。
彼らは、新思潮を物語にくるむと、それを自前の雑誌に載せ、
広く、情報を拡散しようとした。
いうならば、物語と雑誌、2重の情報メディアを使っての時代開拓作業である。こうして彼らは、他の心を寄せる仲間たちとも連帯して、重苦しい時代の暗雲を切り裂こうとしたのだった。