構造化し構造化される構造

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ある人が「自由」という観念を重んじる。これは一体、何が決めるのか。それは「家族構造だ」——というのが、エマニュエル・トッドの主張だった。

かれは、まずフランス、イギリス、アメリカといった例を挙げて、これらの国々では、政治や経済など、さまざまな次元で、より自由主義的だと指摘する。

「家族構造」が、「自由」の観念を促進している、と。

促進といったが、これは言い換えれば、彼らは家族構造によって、「自由」という価値観を「強制」されている。

ということは、アングロサクソン世界の平均的個人は、あらかじめ「自由」に向かうよう方向づけられており、「権威主義」を許されてはいない。

そこでトッドは言う。
「まあ、イギリスでは、ファシストになりたくても、ファシストになるのはむずかしいんですよ笑」

同様の理由から、共産主義者になることもむずかしい。もし共産主義者だったら、気が狂っていると思われてしまいます、とも。

彼らは、「家族構造」ゆえに「自由」だといえる。「自由である」というより、「自由でないことができない」のである。

トッドのテーゼは「自由」というものを、このように家族構造との関連で位置づけている。このため、「絶対的自由」の観念と真正面から衝突する。

「自由」という観念にこだわる社会の人びとほど、「構造決定論」を嫌い、家族構造によって「自由」が意識づけられていることを拒否する。

「自分が、なぜ自由なのかを、自覚できないのです」

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