Tweet Pocket 今度は日暮れから出かけていく。あの往来は、ちょうどいまの神田橋一橋外にある高等商業学校のあるあたりで、もと護持院ヶ原といって、大きな松の木などが生い茂っている淋しいところで、追いはぎでも出そうなところだ。そこを小石川からの帰り道、夜の11時か12時ごろ通るときの怖さというのは、いまでもよく覚えている。 共有:TwitterFacebookいいね:いいね 読み込み中… Related posts: 原田敬策とのCo-learning ソレモ無頓着だ 著書・翻訳事業 関係づくりの心得 自らが手本に 華英通語 知の岬へ