離脱(BREXIT)

投稿者: shidarapress

コリン・ジョイスというジャーナリスト —アイルランド移民の血を引き、労働者階級の家に生まれ、公立学校に学び、今は田舎町エセックスに住む、自称「 平均的なイギリス人 」— の主張だが、彼は「EU離脱」の根拠として、以下の8つをあげている。それぞれの見出しと要約はそれなりに手を加えてある。

1.EU本部の体質  1.2005年、オランダとフランスの有権者がEU憲法条約の批准を国民投票で否決する。2.すると、基本条約の文言は適当に修正された。 3.そうして生まれたリスボン条約も、2008年のアイルランドの国民投票で反対された。4.そこでさらに文言を修正し、それから2度目の国民投票にかけた。つまり、ブリュッセル(EU本部)は「可決されるまで何度でもやる」ということだ。投票とは、EU本部が善と信じることを実現するための手段。そんなEU本部の体質が変わるとは思えない。

2.投票なきEU加盟  イギリスは1973年に「ヨーロッパ」の仲間入りをした。そのときはEC(欧州共同体)だった。それは自由貿易圏にすぎなかった。加盟の是非を問う国民投票が、1975年に実施された。その後、ECはEU(欧州連合)になった。名称だけでなく組織も変わった。権力も規模も巨大になった。しかし国民投票は2度と行われなかった。

3.各国主権の喪失  ローマ条約。これがEUの礎となっている。ここには「統合の深化」がうたわれている。つまり、権力は徐々に、加盟各国からEU本部に吸い上げられていく。新しい法律はEUの指示に基づいて作成される。欧州司法裁判所は、加盟各国政府の決定を覆すことができる。つまり離脱派は、この「主権の喪失」をもっとも憂えている。加盟国に対して微々たる義務しか負わない、超国家的な統治機関が、一市民の声に耳を傾けるはずがない。しかも共通の歴史や文化に基づく「物語」の共有なしに、「ヨーロッパ人としてのアイデンティティ」を形成することはできない。

4.減速するEU経済  イギリス人にとって近年でもっとも屈辱的だった金融政策上の失敗は、1990年に欧州為替相場メカニズム(ERM)に参加したことだ。さらに、このERMの次にきた単一通貨ユーロは、もっと破壊的な影響をもたらした。その証拠が、ポルトガル、アイルランド、ギリシャ、スペインの惨状だ。ユーロ圏の成長はほぼ止まり、イギリスの後陣を廃している。イギリスがEU加盟後に実施した最良の政策判断は、ユーロに参加しなかったことだと言える。

5.EUの政策実現力の欠如  イギリスは、28あるEU加盟国のひとつにすぎないから、EUにおける影響力は大きくない。多くのイギリス人は、EU本部のあるブリュッセルでの動向を注視してもいない。また、EU本部は、各国民の意向に関係なく、自分たちがよいと思う仕事を行うエリート集団だと思われている。その上、EUに素晴らしい政策を実行する力があると考える人は、イギリスにはみあたらない。熱心なEU残留派でさえ、その点は似たようなものだ。

6.移民問題  イギリス国民は無力感にさいなまれている。ルーマニアやブルガリアからの移民が、賃金水準の低下を招いていると人びとは感じている。移民が大挙して、公立の病院や学校に押し寄せる現状も目の当たりにしている。住宅の供給は、人口増加のペースに追いついていない。イギリス人は、いま移民流入の規模や増加率に対する懸念が数十年にわたり無視され、逆に「人種差別」という言いがかりで沈黙させられてきた、と感じている。イギリス国内の移民数は、すでに総人口6400万人に対して、800万人に達している。

7.恐怖による世論誘導  残留派は、EU離脱のリスクを強調し、イギリス国民の恐怖を煽っている。離脱したらイギリス経済はもたないぞ、と。だが経済より大事なことがある。最後に大事なことは、自国の「主権」を、経済のために犠牲にしていいのか? ということだ。そもそもEU経済は停滞傾向を示している(→4.)

8.「1つの欧州」は幻想  イギリスは欧州統合にもっとも懐疑的な国だが、EUの中央集権に反対する動きは他の国にもある。1.デンマークは2015年の国民投票で、司法・内務分野でのEUとの連携拡大を否決した。2.アイルランドは国民投票で、01年にニース条約、08年にリスボン条約を否決。3.通貨統合で大きなダメージを受けたイタリアでも、EUの壮大な社会実験に対する懸念が広がっている。4.オランダ国民は2016年、ウクライナとEUの貿易協定を拒否した。統合懐疑派のイギリス人を、偏屈な少数派とみなすのはまちがいだ。

Newsweek (2016.6.28)

島が大陸を動かす日

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