超越界と現実界を架橋する存在

投稿者: shidarapress

1953年に『ロシア的人間』を書くまで井筒俊彦は、自分のことをphilosopherだとは思っていなかったように思われます。井筒にとっての“ philosopher ”は、古代ギリシアの哲人たちがそうであったように超越界と現実界を架橋する存在です。しかし、超越とのつながりを遮断し、詩に耳を傾けることのない哲学研究者ばかりの状況では、井筒が自分をphilosopherだと認識していなくてもまったく不思議ではありません。

「誤解を恐れずにいうなら、哲学者は詩人たり得るか、という問題であった」と、小林秀雄はアンリ・ベルクソンについて論じています。それはベルクソンのみならず、20世紀のphilosophy全体に関わる問題です。現代の多くのphilosophyは「詩情」を欠いている。だから意識を刺激することはあっても魂に響かない。philosophyに詩情をよみがえらせること、それが井筒の大きな試みでもありました。

井筒にとってphilosophyとは、論理の形式ではなく、叡知を生きることを意味していました。古代ギリシアでそれをもっとも切実な形で表現したのは詩人たちだった、と言うのです。むしろ詩人たちによってphilosophyの道が開かれたことにきわめて重要な意味を見いだしている。こうした見方は、井筒が西脇順三郎から学んだことでした。

 若松英輔(「コトバ」第20号(2015), p.78をもとに編集)

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