慶應義塾 〜はじまりの原理〜

投稿者: shidarapress

慶応4年(1968年)4月10日、福沢諭吉は、つぎのような書簡を山口良蔵に送っている。

「ぼくは学校の先生ではないし、生徒はぼくの門人でもありません。こうした関係を一社中と名づけよう。ぼくは社頭の職をまっとうしたいと思う」

ここには、共同体型でも、官僚制でもない、自発結社型の新しい原理によって、福沢が義塾を起こそうとしていたことが示されている。

なお、この翌日4月11日が江戸城無血開城で、徳川慶喜が江戸を去り、水戸に向かう。そして、この手紙が送られた5ヶ月後の9月8日、時代は明治と呼ばれるようになる。

設樂剛事務所

 

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