福沢諭吉のアドバイザー

投稿者: shidarapress

肥田昭作は、幕府がオランダに注文して造った「咸臨丸」の航海に、教授方として乗船する。彼はやがて慶應義塾の教員となり、その後、文部省へと移って出版免許の課長を務めた。さらにその後、肥田はビジネス界に転身する。三菱為替会社に勤務するが、やがて養父が創設に参加した国立大十五銀行の頭取に任じられる。ついで百十九銀行や壬午銀行の頭取も歴任した。慶應義塾初期の有力門下生の一人とされ、義塾維持のファンド・レイジングにあたっては福沢諭吉の相談相手となっていた。

設樂剛事務所

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